ロシアとウクライナの戦争が始まってからもう2年以上にもなる。この戦争がどのように終わるのか誰にも分からない。

 国際的には、ロシアが国境を越えて侵入したことが国際法違反であり、一方的にロシアが悪者ということになっている。また、プーチンの戦争といわれるように、やはりロシアではなくプーチンが悪いといった方が正しいかも知れない。開戦当時はマスコミも毎日戦況について細かく報道していたこともあって、ロシア全体で一致してウクライナに攻め入っているような気がしていたが、なにしろあの広い領土で多民族国家である。バイカル湖より東に住む人にとってはロシアとウクライナが戦っていることさえ知らないひとがいる可能性もある。

 NATOや米国がウクライナに大きな援助をしているので、ウクライナの戦争というよりロシアと欧米の代理戦争の感もあるが、戦争の被害は常に一般の市民、特に婦女子や老人に向けられる。営々として築いてきたインフラの破壊である。戦争は兵器製造者以外の人にとってはなにもいいことがない。

 私はソ連邦が瓦解する直前の1991年とその前年1990年にソ連を訪ねたことがある。1990年のときには、ソ連科学アカデミーの化学物理研究所の招待で妻と娘をつれて約1カ月間、モスクワを始めとしてソ連邦の各国の科学アカデミーを訪問した。そのときはまずウィーンまで飛び、チェコのプラーハで国際会議があったのでウィーンとプラーハの間は列車で往復した。プラーハの街の目抜き通りは若者であふれかえり、ストリートミュジシャンなども多く騒然としていた。従来の東欧の共産主義国家では見られない風景であった。

 その後、ウィーンを離れモスクワに向かったが、先方は一応大歓待をしてくれたが、なにしろホテルのシャワーは水しか出ないし、街では食堂やレストランが空いておらず、店は長蛇の列である。結局、食事は研究所の食堂で3食とるような状態であった。ドルを大事にしろといわれていたがその理由がはっきりした。当時の外貨ショップを連れていかれたが、そこには街ではもうすでに手に入らないウオッカをはじめ、たくさんの食材が溢れていたのである。経済的にも、政治的にもすでに混乱が始まっていたのである。ドルショップで購入したウオッカはソ連中を旅する毎に役にたった。給油待ちの長い行列の一番前に車をつけてこのウオッカを渡すと給油が始まり、給油が終わると次の車にはガソリンがなくなったというのである。航空券の購入やフェリーなどでもこのウオッカ次第だった。結局、わいろが当たり前の国になっていたのである。1991年の国際会議はひとつの会場に缶詰めになった会議であったが、研究所では給料の遅配も始まっていたころであり、よくぞ開催したのものだと思った。やぶれかぶれで研究所の予算をすべてこれに当てたのではないかと思うぐらいである。この年の12月にソ連邦は瓦解した。

 ソ連邦の各国の科学アカデミーを訪ねる旅ではバルト3国からは謝絶された。ソ連科学アカデミーの権威はすでにこれらの国ではなくなっていた。ウクライナについてはチェルノブイリ原発事故事故の後でもあり、物質不足もロシアなみであったが、当時のキエフにあったウクライナ科学アカデミーでは歓待を受けた。ウズベキスタンでも歓迎をうけたが、タシュケントの市場は夏でもあったので野菜や果物で溢れかえっていてモスクワとの差をみせつけられた。

 話が少し横道に逸れたが、モスクワも当時のレニングラードもそしてキエフも似たような美しい街であった。ウクライナがロシアと違う国であるとは思えなかった。もちろん、両国では互いに友人や知己も多く、親戚などもいるのである。もともと兄弟国といわれ、同じ宗教を持つ同じスラブ系民族である。独ソ戦でも多大な被害を受けながら協力してドイツを下した間柄である。私には近親憎悪に見えるこのような戦争がロシアとウクライナの間でなぜ起こるのか最初は分からなかった。

 今ではウクライナ国民4千500万人のうち約1割の約500万人近くが国外に避難しており、ただでさえ人口減少に悩んでいた国であり、局地戦の勝ち負けはどうあれまさしくウクライナ国家の存亡の危機に面している。しかし、国家とは国民のためにあるもので、ゼレンスキー大統領にも抗戦一方ではなく、国民の財産と命を預かるものとして次の手を決心して欲しい。

 時間が経つにつれて次第に国際的な関心も薄れてきている。ゼレンスキー大統領が欧米諸国にやっきとなって援助の強化を求めているが、ここまでくると停戦のためには、プーチンがなんらかの病気で倒れるか、ゼレンスキー大統領が抗戦をあきらめて亡命することで政権を投げ出すほかしか解決のしようのない気もする。国破れて山河ありである。あのウクライナの穀倉地帯を戦車ではなく、農業用トラクターが走り回る景色を早く見てみたい。

 まったく、違う話であるが、ウクライナのクリミヤ半島出身の砂絵の天才、カセーニヤ・シモーノバさんが無事でいることを最近知った。米国と英国での芸のグランプリでの優勝者である。米国での決勝では独ソ戦の砂絵を描いてで会場の涙をさらった。私はこの人にいまのウクライナとロシアの戦いを市民の立場から国連総会で披露させることで戦争の悲惨さを訴えることかねてから提案していたが、具体的にはどうすればよいか分からないので、手掛かりを知っている人がいたら教えて欲しい。