衆参の予算員会の集中審議が今日行われる。議題の中心はやはり金と政治の問題である。報道によれば安倍派の重鎮5人はもとより30人以上がキックバックを受けているとのことである。自民党は「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということを地で行っているようである。政治資金規正法に関して各党の改正案がだされているのでどのような結果に落ち着くのか興味深い。

 なぜ政治にこのようにお金がかかるのか。選挙制度が悪いということで、結局、中選挙区制度から小選挙区制度に変わった。企業や団体献金禁止された代わりにわれわれの税金から国政政党に資金が配分されることにもなった。その中から配分される政策活動費についてはその使途は問わないということになっている。それにもかかわらず今回の裏金事件である。

 こうなると政治家自身の資質と同時にこのような政治家を当選させた選挙民の資質を問うてみなければならない。

 政治家はあくまでもわれわれの代議員である。本来ならば日本の将来の姿やわれわれの生活をこれからどうするかということについて自分の考え方を示して立候補する必要がある。きれいごとでは選挙は戦えないというのは候補者であろうが、われわれ有権者がこの基本を忘れないことである。現状では、政治家の2世、3世が引き継ぐ世襲議員が国会議員の半分ぐらいの割合になっていることを考えると、いかに地盤、看板、カバンといわれる3バンがまとまな新人候補者が当選を果たす障害になっているかよく分る。当選すれば先生であり、国会議員としてのさまざまな特権を受けることもあるが、なにより父親や祖父のどぶ板選挙時代の政治手法を身近に見ており、いつのまにか政治をよく知っているという気になる。地道に勉強するより、権力やポストあるいは利権に確保に夢中になるというのが実体ではないだろうか。本来の政治家として資質のない人が国会議員になって、日本の政治を支配しているのである。

 もちろんそのような議員を選ぶのはわれわれ有権者であるが、有権者の半分ぐらいが投票にでかけない。とくに若者の投票率は極端に低い。政治は年寄りがやるものと考えているふしがある。私も終焉間際の年寄であるのだが、若い人が積極的に投票活動をしなければ今の状況は変わらない。年寄の情報元はほとんどがテレビである。テレビのニュースや民放の帯番組の伝えることがすべて本当だと思ってしまう。NHKはじめテレビの報道は一見公平を装っているが実は偏向していることに気がついていない。あとは握手をしたり、お祭りで会ったしから、身近な地方議員が推薦するからというようなさまざまな理由で夫が投票すれば妻も同じ候補者に投票する。

 スマホやPCが使えれば、たとえば「れいわ新選組」の山本議員がまとまな街宣活動をしていることが分かるのであるけれども、彼の街宣活動は都会を中心にして行われているので、私のような田舎で「れいわ新選組」の山本さんが頑張っているよといっても、年寄はその人は誰ということになってしまう。

 後期高齢者には、車の免許更新のとき行っているような認知テストを義務づけてはどうかなと思う。政治に関わる簡単なテストでいい。選挙の自由という人権を妨げるなどと怒らないで欲しい。面倒だからテストを受けるのを止めるといっても別に罰則もない。ただお付き合いで投票をしてしまうという年寄の投票行為を防ぐことができれば国会議員の質は徹底的に変わると思う。