まもなく84歳を迎えようとしている。妻は昨年逝去した。病気続きの1年間だったので、この間の入退院の世話や自宅での看護に全精力を傾けたが、ついに帰らぬ人となった。看護の重荷から解き放たれたと他人はいうが、60年間連れ添った妻の喪失感は大きく、自分もいずれそんなに長くない期間に傍に行くことになるとは思うものの、残りの人生をどのよう生きたらよいのか皆見当がつかない。若いころ、将棋や碁などの趣味を持てば今でもお相手のいるところに出入りして、いわゆる碁敵きなどの話相手もできるのであろうが、とにかく仕事一筋の人生だったものだから趣味らしい趣味をもっていないことを今頃反省しても遅きに失している。ゴルフに取りつかれたこともあったが、これは年を重ねると腰痛などの持病がでてきているほかに、ゴルフ仲間も次々あちら側へ仲間入りしてしまっているので、ひとりでプレイしても楽しいはずもない。
日本の総人口に占める65歳以上の人は現在およそ30%に近い。何歳から老人あるいは高齢者というのかは正確なところはよく分からないが、都会では駅前のモール、田舎では道の駅で年寄ばかりだなと思うぐらいだから、日本は本当に老人国になったのだということを自分もそのひとりでありながら痛感する。 大東亜戦争が終戦になったとき、私は小学校1年であったので田舎で育ちながらも戦争中の周囲のようすや終戦後の混乱期についての記憶がある。中学の同級生が集団就職で東京へ旅立っのを見送ったことも覚えている。国民皆が貧しかった。大学時代は入学早々に安保改定騒動に巻き込まれ、連日、国会周囲のデモに駆り出された。反対運動は挫折したがその後も騒然とした環境で大学生活を送り1964年に大学を終えた。そのころから日本は高度成長期が軌道にのり始め、1973年の石油ショックまで続いた。GDP世界第2位というのもこの頃であるが、オリンピックや万博も開催されたのもこの頃である。日本の経済は石油ショックもなんとか乗り越え、1986年からいわゆるバブル経済といわれる時期に突入したが、これは5年後の1991年に破綻した。それ以来、経済の停滞期が現在まで続き、人口減に直面したまま回復の気配さえないのが現在である。困難な時代もいい時代もくぐりぬけてきた私がここでなにかひとことを残していかなければと考えたのがこのブログ開始の動機である。私の年代はスマホも十分にいじれないことから、私のブログを見て同感してくれる人は限られるであろうし、若いひとにはジジイのたわごととして無視されるかも知れない。フォロワーの数は初めからあまり期待していないが、いずれ生きていれば皆年寄になっていくことは間違いがないので、いつかは目に触れる機会もあるかと思っている。本当にたわごとになったときには、私がブログを止める終焉期になったときである。