勇者が大剣を背に携えるように、僕はこのポケットにバタフライ・ナイフを入れておこう。
『ナイフ』(著:重松清さん、新潮文庫)を拝読いたしました。
いじめをテーマにした短編集で、表題作の『ナイフ』は、いじめられっ子の息子を心配した小心者の父親が、ある日小さなバタフライナイフを手に入れる話。それをポケットに入れておくだけで、父親はまるで自分がとても強くなったように思えて……。
僕はこのころとにかく他者が恐ろしくて、彼らに対抗するための武器がほしいと思っていたころだった。例えばそう、小さなバタフライナイフのようなものを、ポケットにそっと忍ばせる。そんなことに強く関心を抱いていた。それと同時にそんなことをしてはいけないとも強く思っていた。
そんなときにこの作品と出会えたのは運命と言う他ないだろう。
この本の結末に僕は大きな期待を抱いた。今後の人生をこの本に預けてみてもいいとすら思った。
【※以下、ネタバレ注意※】
さて結末から話そう。
この物語の主人公である父親氏は、ナイフをポケットに入れるのをやめた。
何故か?
いじめられっ子の息子に「これで悪いやつをやっつけてやる」とバタフライナイフの勇ましさを見せてやろうと思って取り出したはいいが、上手く刃を登場させることが叶わず、父親は自分の手を切ってしまったのである。
何とも格好の悪いシーンだ。
持つだけで彼を強くする魔法のアイテムだったのではないか?
そうではなかったのだ。
強くなったのは「つもり」だけ。
ただの弱くて情けなくて頼りない矮小な人間であることに、一切変わりはなかったのだ。
父親は息子に、「ともに弱いままで闘おう」と語ります。それぞれの戦のために、二人揃って自宅扉を押し開ける。強さを手に入れられなかった彼らは、どこか吹っ切れた顔をしておりました。
この結末に巡りあった僕は、もちろんもう「ポケットにナイフを入れたい」などと思うことはなくなった。
けれど人という人が恐ろしいことに変化はなかった。
だから僕は別の武器を所持することにした。
声である。
元気で丁寧な声で、こちらから先に挨拶をしてやるのである。
すると不思議なほどあっさりと、恐怖心が僕の中から抜け落ちた。
何なら根暗の代表者のような僕が、バイト先で「君は明るくて元気な店員さんだね」と度々言われるようになった。
世界は凶悪な怪物が闊歩するおぞましい場所だ。
けれどやり方ひとつで世界は安全で快適に作り変えることができるのだ。
その適切な方法に出会う方法のひとつが読書なのだ。
この本を拝読できて、僕は本当に幸せ者だ。
*『ナイフ』リンク
