実は私、30年ほど前、国産グッピーの有名ブリーダーでした。

雑誌取材もされて、温室を持ち、28個の水槽に国産グッピーを最高一万匹程度飼っていました。

それだけで当時の月収手取り30万有りました。

しかし最初からそんなに有る訳ありません。

何も無ければ、熱帯魚飼って収入等うまれません。

優秀な血統を維持するためにたくさんの子供を育て、またその中からよりすぐりの親から得た子供を育て、コンテスト時期に合わせて、最高の月齢になるように掛け合わす。

餌も独自開発の餌や生き餌の調達、水換え、照明の強さ、時間、水流の強さ、向き、PH、硬度、

全て魚の出来に関係します。

系統を維持していく中で、たくさん居る子供達の中で、欲しいのは数ペア

あとは要らない魚なのです

最初は熱帯魚店に安い値段で引き取ってもらっていました。

それを資金に水槽や機材を増やして行ったのです。

しかし、引き取ってもらう値段なんて二束三文です。

どうすれば高い値段で売れるのか?

そうです、有名になれば良い爆笑

コンテストへの挑戦が始まりました。

色々有りましたが、挑戦を決めてから一年後に近畿圏のコンテストで2位をいただきました。

東京で3位

次の年も近畿で2位、3位

東京で2位

そうです、優勝出来ないんですよ

まあしかし、コンスタントに良い成績だったので、雑誌の取材が入り、スターになりました爆笑爆笑

インターネットも携帯も無い時代、夜中でも「系統の魚を譲って欲しい」の電話が鳴りまくり、どんどん売れて月収30万

サラリーマンしながらですので、夜中の水換えになります

28個水槽有りましたので、毎日5個くらい水換えしなければいけません

子供の選別も有ります

勝手に交配されたら系統は続きません

人工改良された物は必ず先祖返りして、誰も見向きもしない、売れない魚になります

毎日4〜5時間程度の睡眠で数年間やりました

はい、会社から帰れないくらい忙しい時でも、水換えだけに一度帰りました

自分は食事の時間が無くても

出張が当時は無かったので、その点はラッキーでしたね

国内コンテストでもらった色々な物が残っています

こんな感じで
あっ金一封の封筒とたくさんの賞状は40代で会社からもらった物です爆笑爆笑
敢闘賞
優秀賞
技術優秀賞
なんじゃかんじゃいっぱい
会社の仕事がエースのヤマちゃんの時代ですよ爆笑爆笑爆笑
いちよう証拠が残っています爆笑
そして、世界コンテストへの挑戦
ドイツまで魚を持って行きました
「えっ熱帯魚やのに温度はどうするの?」思うでしょう?
じゃあどうやって海外から熱帯魚輸入しているの?
要はやる気です
インターネット等無い時代でも、やる気があれば調べられて、その方法もブリーダーの技術の一つとなるのです。
ドイツの世界コンテスト
世界15位
22位
24位
まあオリンピックですから私ごときはこんなもんですよ
何千の出品の中からなんで上出来です
問題はドイツ語さっぱり分からん
英語必死で3割程度
まあ、よう日本に帰って来れたわ爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑
今みたいに携帯が通訳してくれへんやん照れ照れ
魚よ〜売れた
なんでやめたかって?
身体絶不調になりました
まあ、やり方ノウハウ分かっているので、いつでも再開出来ます
やらへんけどね
しんどいし
今のカメラマンの道と良く似ているでしょう?
一緒ですよ
実直に絶えず研究して、夢を諦めずに毎日努力する事
上七軒で芸舞妓していた祖母が教えてくれた生き方です
怖いのは自分、辞めたい、休みたい、楽したい、と思う自分の心
芸舞妓さんというのは凄い強い精神と努力です
尊敬しています