FSに入りたい。敬語。戦型変更。 | MTD卓球ブログ

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名古屋で卓球をしています。Mみんな、T卓球、D大好き、MTDのブログです)。読者登録依頼は、マメに日記を綴っている人意外は非承認。それから単なる勧誘的なコメント(お金が儲かるとか、健康になるとか)が増えていますが、全部非承認するだけです。

言葉を発すること

それはリスクを伴う

公に向けて発することは勇気のいることだ

言葉は時に重いものになるが、実は儚いものだ


言わせてもらうとすれば


決して自からは発せず

ただ人の話に対して

好き勝手に文句垂れてるだけの人

こういう人に、人を動かす力はない



<「FSに入りたい。」>
そう言ってくる子がここに来て増えてきた。

嬉しいことだが、
FS選手の練習は週一回、二回ではない。
小学生に週の半分以上を卓球に通わせるとすれば、
それなりに家族の理解も必要だ。
だから二の返事で返せないところがある。
中学生にもなれば、今度は自分一人で
ある程度行動できるようにはなるが、
受験も絡む年代。
やはり家族の理解が必要となる。

だが、「やりたい。」と子供が本気で言うのであれば
それに沿いたいと思うのも親心なはずなのだが・・。


<敬語>
FSの子達は、外では知らないが
練習場で、目上と話し時には敬語だ。
その他、いろいろな決め事がある。
ここを最低限でよいので、
分かってないと入れない。


それと
船頭の私が声を荒げて怒鳴るときがある。
エースコーチも、態度の悪い子にはキッパリ強く叱る。


褒めて伸ばすだけで万事上手く行くなら簡単だ。
だがこの法則は正しくはない。

極端な話、生まれて死ぬまで褒め続けられたとしたら
もう褒められることに快感は得られなくなるだろう。
逆に幸福感は、変な方向に屈折していく危険性がある。


自分の子供と20年、

人様の子達と8年・・。毎日のように接してきて思う
親がどれほど教育に熱心であろうが、なかろうが
また最先端の教育方法を勉強しようが、しまいが
子供の話によく耳を傾けてやろうが、やろまいが

そこに「こうすれば成功する」という方程式はない。
また「だから落ちこぼれる」という方程式もない。


人や言葉との出会いや、そのタイミング、

身の回りの数人、そこを取り巻く団体、それを取り巻く環境、市町村、国、時代

この下に生きていってて、

でくわす偶然の連続

こうしたも運命的なもの力は、親が先生が躍起になってがんばろうにも

到底かなわない・・・・それはもう・・・とてつもなく大きなものなんだ。


私がこういう話をブログで書く機会は減った。


あ、そうそう・・


私の一語一語・・・
それに大して、逐一固唾を呑むように、
子供が読んでいるならそれはそれで問題は無い
子供なりの解釈だから、中には履き違えた解釈で思い込んでしまう場合もあるのかもしれないが
だからといって、全てに蓋をしてしまってたら私自身、呼吸できなくなってくる。


私は、自分が相手にするかしないか・・・
んなことは最終的には
私が決めている。当たり前のことだ。


子供が読むのは良いし、その親が読むのも拒みはしないが、
生きてる年数の全く違う親が、子と全く同じステージで、同じように固唾を呑むかのように読んでいたとしたら、正直な話、それは間違っている。


<戦型変更のタイミング>

1年やって伸びる気配が無いなら、そこはタイミングだと思う。

可能性を自分なりに感じられるときは、練習に気持ちがこもるはずだ。

気持ちが入らないなら、別の方向から卓球をしてみることも有りだろう。

戦型を変えると言うと、「これまでの努力が損・・」と思いがちだが、真逆だ。

ここまでの経験が、とうとうホントに生きてくるかもしれないわけだ。

また、戦型を変えてやってみるってだけで、前の戦型に戻ってもいいわけだ。

そのとき、変えてみたことで気づかされるヒントを引っさげて、返り咲く可能性だって大いにあるのだから。