論外。 教育。 | MTD卓球ブログ

MTD卓球ブログ

名古屋で卓球をしています。Mみんな、T卓球、D大好き、MTDのブログです)。読者登録依頼は、マメに日記を綴っている人意外は非承認。それから単なる勧誘的なコメント(お金が儲かるとか、健康になるとか)が増えていますが、全部非承認するだけです。

私が行けず、

わざわざ時間を割いて、駆けつけて下さったTコーチ、エースコーチ。

ご両人のおかげで予選は一位通過。


決勝トーナメントは、

競技者としては本当にお粗末な終焉


コーチお二人にも、他の選手にも

そして何より、

相手方のチームの皆様にも不快な思いをさせてしまいました。


申し訳が・・・ないです。


総監督としては

今日、現場にいなかったとはいえ


話を聞いていて

とても

情けなく、

むなしく

お恥ずかしい限りです。


チームとしては

笑われて当然の結末となりました。







卓球以前の問題。







論外。






<昭和の教育を思い起こす>

私達の時代は、体罰が普通にありました。

私なんかは、毎日のように引っ叩かれておりました。


当時の親の・・間違いなく過半数は

「アンタが悪い!」と

引っ叩かれて帰ってきた息子を、

更にガツーン・・・。

そんな時代でした。


「今となっては良き思い出にすぎない」大人もいれば、「いまだに心に傷をおっている」大人もいるわけですが、

平成以後の教育で育った大人とて、発せられた言葉によって

「今となっては良き思い出にすぎない」大人もいれば、「いまだに心に傷をおっている」大人もいるわけです。


昭和の9割の学生が、似たような教育環境のもとで育ち、

この当時の子達の

98%程は、特に犯罪者になることもなく

当然そっから年齢を重ねていきまして・・、

今普通に生活を営んでいるわけです。


あ・・


私は体罰を決して肯定はしません。

何故なら、

言うまでもなく

人に手を上げるには、それに相当する背景、事情がなければ

それは暴力になっちゃうからです。

また、手を上げるとしても

手をあげられたこともなく育った大人がいざそれをやると、大きな事故に繋がりますからね。


体罰。

ここに明確な線引きをするのは不可能です。

責任の所在を契約書で交わして、責任の所在を爆弾をキャッチボールするかのごとく避けあっている今日の社会・・。


「ゴタゴタが面倒だから、ゼロでいこう」というのが、

トどの詰まりの真実なんだと思います。



昨今

おねえ系の教育者が、テレビ出てきては、分かったようなことを語っていますが、

あれとて一方向の論にすぎません。

こんな先生や、あんな先生がいて、こんな先輩、同輩、後輩、あんな叔父さん、叔母さんがいて、

もまれ磨かれていくしかないと私は思うのです。


「こうして、ああして、これはだめで、あれはよい」というマニュアルのもとで育つのは

ある意味、「養殖人間」になっちゃわないだろうか・・。なんて思っちゃったり・・。



で、


ひとつ言えることは

最後の最後に引き抜かれる「剣」が・・・、

鞘に納まっている状態であったならば、

この事実があるだけで、

単なる身勝手なだけの勘違いな自己主張は激減するでしょう。


「脅しが根底にある教育は良くない」という論もわかります。

そこは理想ですが・・。


「脅しがゼロなんて・・、そんな教育こそ生き物として不自然。」という論があり、

私は後者の論に賛成派の人間です。


勿論

できる限り剣を鞘から抜かずに指導していく・・・


一度も抜かずに指導していけるのが、

指導者の本当の達人なんだと思います。

指導者はそこを目指さねばなりません。


鞘から剣を抜いた時点で、「みっともない」わけです。


ですが、

究極的に・・・

「みっともない」姿を周囲にさらけ出してでも、

剣を抜かねばならぬぎりぎりの局面ってのは、現実・・あるはずです。


私はここまで一度も抜かずに来ましたが、

正確には、「よう抜けず」に来ていると書いた方が正直なところです。

難しい問題です。

鞘から抜いて、

自分だけに問題が帰ってくるのなら簡単なのですが、

自分以外の人々や教え子達にも迷惑をかけることになる・・。

そういう先々の状況が見えてしまうわけで・・。


本当に難しい問題なのです。


答えが


どうしても出せないままに


今、七転八倒しています。