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青い庭のアトリエ -Sukhothai-

青い庭はナツミントの私的な庭です。
ここでは日々の生活を送る中で思ったこと、考えたこと、感じたことを綴っていこうと思います。

「Sukhothai」はタイの古都の名前で「幸福の夜明け」を意味します。

作為的でも相手が私の為を思っての行動なら、私の為の気持ちの行動化なら基本的に嬉しいです。
けれど私の為の気持ちの行動化でも、私のことを考えてくれずに、自分の気持ちや考えを押し付けてくる人は嫌ですし、行動の元が私の為だと思うと「嫌です」とはっきりとは言いづらく、困ることもあると思います。

例えば昔の話ですが、私が友達の誕生日祝いにメッセージカードをプレゼントした時のことです。
私は【友達の為】に、【誕生日を祝う気持ち】を【メッセージカードという物で表現】して、【プレゼントする】という行動化で伝えようとしました。
でも友達は驚いていました。
メッセージカードだけでは友達に気持ちが伝わらなかったみたいです。

私は【友達の為】に、【誕生日を祝う気持ち】を【メッセージカードという物で表現】して、【プレゼントする】という行動化で伝えようとしたので、友達に気持ちが伝わらなかったことが悲しく残念な気持ちになりましたが、この結果について考えて【自分の気持ちを伝えるには相手を理解する必要がある】と失敗の原因に気づけました。
その友達にとって【誕生日プレゼントにメッセージカードだけは変】だったわけで、その友達の【誕生日プレゼントの普通】を知らなかったから私は失敗し、気持ちを伝えられなかったのだと。

私はこの経験により悲しく残念な気持ちになりましたが、でもこれは人間関係が浅く、お互いの理解が浅い段階ではよくあることとも思います。
この経験もあって私は相手の気持ちを大切にしようと改めて思うようになりました。
友達や周りの人達に私と同じ悲しく残念な気持ちを与えたくないですし。
お互いに理解が浅いことで傷つけたり、傷つけられたりを減らしたい思いから【〇〇が普通】という思い込みを減らせるように、普段から「私は〇〇と思います」「〇〇さんはどうですか?」など話をして、お互いに理解を深めていけるように心掛けています。

私が友達にメッセージカードをプレゼントしたのは【友達の為】でしたけど、それは私が自分で考えて選択した行動ですから、私が思っていたのとは違う結果でも、本当に【友達の為】なら結果から考えて【友達への理解が不足していた】ことに気づいて、【自分の気持ちを伝えるには相手を理解する必要がある】と失敗の原因に気づき、その経験を次に活かしていくと思うんです。

【友達への理解が不足していた】ことに気づけずに、私が悲しく残念な自分の気持ちだけ考えてしまったら、それは友達に誕生日祝いをプレゼントしたのは【友達の為】ではなく、【友達に好かれたい自分の為】の可能性があると思うんです。
【友達の為】なら【良いと思われることをしてあげて、感謝されることで自分を満たしたくても、自分の気持ちだけを考えず、失敗の原因について考えないのは変】だと思うんです。


この「何か変」だという思いは「ボランティア活動は偽善?」で書いた、

ただ【自らの意思で見返りを求めて動き、けれど自分が求めていたものが得られなかった時に不満を感じ、その不満を他人のせいにする人達】は嫌いです。
そういう人達には【自分の意思で行動を選択したことを忘れずに、自分が求めていたものが得られなかったのは自ら選択した行動の結果であることを認め、その責任や原因を他人へ転嫁せず、どうして得られなかったのか考えて欲しい】と思います。

この部分に繋がっています。


人間には相手の心を透視できる能力があるわけでもなく、無意識の領域もありますし、行動から相手の心を知るのは難しいこともありますが、傷つけ傷つけられることを恐れずに色々な人と関わった経験の積み重ねから【相手の心を感じられる】ようになり、傷つけ傷つけられることを恐れずに関わり続けた人間関係では【相手と心が通い合う】ようになると私は経験から考えています。

人間関係において大切なのは恐れずに関わっていくこと、相手を理解し自分の考えや気持ちを伝える努力で、それらが相互になされることによって心から繋がる関係が築かれるのではないでしょうか。
心から繋がる関係を築くには元になる自分の心と相手の心を知り合う必要があり、大切なのは【作為的かどうか?】でなく、【何のための行動か?】【行動の元になる気持ち】だと私は思います。

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この記事は恋愛総合サイトで活動していた仲間とのやりとりで私が書いた文章を編集したものです。

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恋愛総合サイトで活動していた仲間と一緒に趣味で無料の恋愛相談サイトを運営しています。

『Caffe di cuore(カフェ・ディ・クオレ) ~みんなの恋愛相談所~』

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【好きな気持ちの行動化】のひとつに【好きな人にあげる】もあると思いますが、相手が年上であったり、男性の場合に女性の私は気を使います。
私が年上や男性に対して【〇〇をプレゼントする】【〇〇をしてあげる】で気持ちを行動化した場合には、相手の自尊心を傷つける可能性があると思うからです。
【好きな気持ちの行動化】の選択ミスにより、好きな人の自尊心を傷つけてしまったら本末転倒になってしまうので、【好きな気持ちの行動化】をするにも自分と相手の年齢や性別や立場など関係性を考える必要があり、女性の私は男性に対して【好きな気持ちの行動化】をする場合には、相手の自尊心を傷つけない方法のひとつとして、【相手を頼る】のは【相手に対する配慮や思いやり】でもあるんじゃないかと考えています。

私は育った環境の影響もあり、男性に頼るという考えが欠落しているような、男性に頼ることで自分のプライドが傷つくようなところもあり、私が自然にしていると私が男性に頼らないことで男性のプライドを悪意なく無意識に傷つけてしまうことがあるんです。
これは若い頃には気付いていませんでした。
気づいてからも我が強い私は自分の気持ちを優先してしまい、男性のプライドを傷つけたことがあります。

例えば頑張れば自分一人で運べる荷物でも、男性に手伝ってもらえば私は負担が減って助かりますし、一人で運ぶより早く運べます。
女性の私が一人で運べる荷物なら男性にとっては大した負担ではないですし。
それにそばに男性がいるのに私が一人で荷物を運んでいたら…その男性が手伝ってあげないとか、その男性が女性一人に荷物を運ばせてるように見えたりする可能性があると思うんです。
男性が「手伝うよ」と言ってくれて、でも私が「自分でします」と拒絶したとしても、その流れを知らない人達には【女性一人に力仕事をさせてる酷い男】に見える可能性があると思うんです。
けれど昔の私は【男性に頼れない自分】や【男性に頼りたくない自分】に気づいておらず、また気づいてからもなかなか頼れませんでした。

今は【男性に頼れない自分】や【男性に頼りたくない自分】に気づいていますし、私が【男性を頼らない】ことで男性のプライドを傷つけたり、その男性の周囲からの評価を下げたりする可能性にも気づいたので、自分の【男性に頼れない気持ち】や【男性に頼りたくない気持ち】ではなく、【相手を優先】して【男性に頼れる自分】になろうと意識して努力しているところです。
まだ長年の癖が抜けずに失敗してしまうこともありますけど。

私は【好きな人に好かれたいと思う気持ち】、【私はあなたが好きですと相手に伝えたくなる気持ち】、【好きな気持ちの行動化】は人間として自然なことで、人間として自然なことは否定せずに、恋愛も含めて人間関係においては【自分と相手の年齢や性別や立場など関係性を考え】たり、【相手に対する配慮や思いやり】を持ちながら【気持ちの行動化】をしたらいいんじゃないかと思っています。

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恋人によって満たされる自尊心」に書いたように、私はお互いの自尊心を満たし合うことは良好な恋人関係を築くのに大切だと思っています。

けれど恋愛も含めて人間関係では【相手の為】ではなく【自分の為】に、【相手を頼り、相手にしてもらったことに対して感謝して、そのことにより相手の自尊心を満たして、相手に好かれようとする人】がいて、そういう人の作為や下心が透けて見えると…なんとも言えない気持ちになることがあります。

でも基本的に人間は【好きな人に好かれたい】生き物だと思うんです。
それに【相手を好きな気持ち】から【私はあなたが好きですと相手に伝えたくなる気持ち】も人間として自然だと思うんです。
「私はあなたが好きです」と相手に伝えたくて、【相手を好きな気持ちを行動化する】のもまた人間として自然な【気持ちの表現】ではないでしょうか。
気持ちがあっても思ってるだけでは相手に伝わらないこともありますし、言葉だけでは伝わらないこともありますから【気持ちの行動化】は大切だと思います。

【好きな気持ちの行動化】のひとつに【好きな人を頼る】があると思います。
それは【相手を頼り、相手にしてもらったことに対して感謝して、そのことにより相手の自尊心を満たして、相手に好かれようとする】自分の為だけでなく、【相手に頼り、相手にしてもらったことに対して感謝して、そのことにより相手の自尊心を満たして、相手を心地良くしてあげたい】相手の為の場合もあるんじゃないでしょうか。
多くの人は好きな人の気持ちが心地良くなれば嬉しく感じると思いますから、【相手に好かれたい自分の為】ではなく【好きな人に心地良くなってもらいたい相手の為】の場合もあると思うんです。

好きな人に頼んで、好きな人がしてくれたことに感謝して、好きな人の自尊心が満たされて心地良くなってくれたら…やっぱり私は嬉しいです。
これは好きな人を利用していることになるのでしょうか?
好きな人を利用しているとしても、好きな人の負担にならない程度であれば、好きな人が心地良くなるなら…お互いに心地良いので悪いことではないかな?と私は思っています。
恋人によって満たされる自尊心」に書いたような、好きでもない相手からお金や時間や知識など自分のものにする為ではないですし、そうやって【好きな人の為】を繰り返していくことで、【好きな人との人間関係が深まっていく】んじゃないでしょうか。

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この記事は恋愛総合サイトで活動していた仲間とのやりとりで私が書いた文章を編集したものです。

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私は二十代半ばから体調不良を繰り返すようになりました。
そんな私を心配して母が王瑞雲先生の病院へ連れて行ってくれたのは二十代後半のことでした。

王先生は小児科・東洋医学湯液科(漢方薬で治療する)を中心とした医療を行っていて、母は王先生に診てもらっていたことがあるんです。
祖母は今も診てもらっています。

自分の病院で王先生は患者に「自家カルテ」を作り、「患者がカルテを保管する」という方法で診療を行っています。
「自分のカルテを自分で保管し、病院に行く時に自分のカルテを持って行く」という診療に、「カルテは病院で保管するもの」と思っていた当時の私は驚きました。

私が王先生に診てもらったのは一度だけですが、自家カルテには王先生が初診時に書いてくれた家族歴、病歴、処方箋などがあり大切にしています。
王先生の診察を受けて「自分の健康を自分で管理する為には自分のカルテは自分で保管しておいた方がいい」と思った私は、王先生に教えてもらった通りに他の病院での診察や自分の体調についても自家カルテへ書き続けています。

私は去年の春から精神科に通院していて、その診察内容や処方についても自家カルテに記録しています。
「心の自家カルテ」では心の治療と経過を振り返りながら書いてみようと思っています。
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」という記事を友達がSNSで紹介していたので読んでみました。
私はSNSでリンクをシェアして自分の意見を書きましたが、アメブロにも載せたいと思ったので以下にSNSで書いた文章を編集して載せます。

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「依存」という言葉に悪いイメージを持っている人もいるようで、そのイメージの元には「依存する=自立できていない」という認識があるようですが、その認識は正しいのでしょうか?

「依存」を辞書で調べると「他に頼って存在、または生活すること」とあります。
「自立」は「他への従属から離れて独り立ちすること」「他からの支配や助力を受けずに、存在すること」とあります。

人間は群れを作って生きる動物で、集団を形成することで人間が生活しやすい環境を作り出しており、人間が手を加えていない自然の中で一人きりで生きていくのは困難だと思います。
人間は社会を作り、性別や年齢や個体の差を補い合いながら、活かし合いながら、役割分担しながら生存率を高めて生活の質を高めてきたのではないでしょうか。
このことから私は群れを作って生きる人間は「他に頼って存在、または生活しており、誰もが依存して生きている」と思っています。
そして「他への従属から離れて独り立ちし、他からの支配や助力を受けずに、存在することは容易でない」と思っています。

過度な依存は自立の妨げになるでしょうし、依存先が少なければ少ないほど依存される側の負担が大きくなってしまいますので、依存の仕方については考える必要があるとは思います。
けれど依存は特別なことでなく、誰もが依存しながら生きていて、依存しないで生きていくことは容易でなく、依存は自立に必要なものではないでしょうか?

「他に頼って存在、または生活する=依存」をしながら、「人の援助を受けないで、自分の力で生活する=自活」の力を高めたり維持しながら、「共に同じ所で生活する=共生」の方法を模索していくことが、社会生活をしている人間にとって必要なのではないでしょうか?

社会的に自立していると見なされない人達の中には、自立が困難な状態でも諦めず努力を続けている人達もいます。
自分では自立する努力をせずに、誰かにどうにかしてもらおうという依存の仕方をしている人達もいると思いますが、困難な状態でも努力し続けている人達の存在にも目を向けて欲しいですし、そういう人達に対しては「依存=悪」というような認識をしないで欲しいですし、そういう人達が抱える心と体の苦しみに対して理解しようとする気持ちを失わないで欲しいと私は思っています。

絶望を抱えて一人で生きるのはとても困難です。
同じ経験がなければ気持ちの共有も困難かもしれません。
でも自分を理解してくれようとする人の存在は…冷たく暗い絶望の中で苦しみ悩み続ける人にとって、暖かな希望の光となることがあります。

見ない、気づかない、知らない。
見ても、気づいても、知ろうとしない。
自ら考えず動こうとしない。
無関心こそが人から生きる希望を奪い、絶望の淵に突き落とし、そして死に救いを見いだしたり死以外の選択肢を失わせるほどの苦悩を与える。
私は自分の経験からそう考えるようになりました。

全てに対して関心を持って理解しようとするのは無理がありますが、自分の大切な人や自分の周りにいる人に対しては関心を失わず、一緒に生きる仲間として理解する努力を続け、心を通わせ続けたいと私は思っています。