地震のあった時、娘の一歳健診に向う車の中だった。
信号で止まった時、ふわんふわんと車が横に揺れるので、「あれ、めまい??」と思ったけど、それにしては揺れが大きい。
周りの人を見たら、上を見上げて不安そうな顔。地震だったんだな・・・。
事態の深刻さに気付いたのは病院についてから。待合室のテレビから、福島で震度7、アナウンサーの緊迫した声と、津波で数十台の車や家が流される映像。皆テレビを囲んで唖然としていた。
健診が終わり、病院を出てから車に乗りラジオを聴くと、関東でもかなりの揺れと被害が・・
旦那様の実家には旦那様が連絡をつけてくれて、食器が落ちて割れたり大変だったらしいが皆無事とのこと。私がかけた時にはもう繋がらなかった。弟二人は23区内に住んでいるので、電話やメールで無事を確認。ほっ。
帰ってからテレビの映像を見るたび、胸が苦しくなって、一体どんなことになってしまうのか呆然としていた。
その2日後、娘がまた発熱・・・。もう、いいときがあまりないくらい風邪引いてる。病院でもらってきたのかなぁ。
熱を出すといつも39度超えるので、病院行く度インフルエンザの検査もしなくてはいけなくてかわいそう。それに加え今回はRSウイルスの検査も。両鼻・・・。でも2つとも陰性。
15日に予定していた小学校の友達との集まりは、泣く泣くキャンセル・・・。ごめんね、みんな。
さて、そんな中、もともと3連休には旦那様の実家に帰るつもりでいたのだけれど、娘の病気や地震の余震もあり「来なくていいから」との連絡があったのだけど、放射能が怖いからそちらに疎開するかも・・・とのことで8人でこちらに来ることに!
結構放射能を恐れて移動する人達が多いらしく、宿も空いてないことが多いし、長期になるとお金の問題もあるし・・。なるべく安く泊まれて、幼児や乳児(2ヶ月!)がいるので和室で。。。と探したり、もしなければウチと実家に分けて泊まってもらうか・・・など話し合い、最終的にはホテルに何泊かとウィークリーマンションを借りられることになった。
娘がこんな状態なので、外にあまり出ることも出来ず、買出しの間だけ母に見てもらったりしながら、本当に簡単だけど、料理を作ったり・・・11人分の料理、初めて作った! しかし狭い我が家・・・寛げなかったかも??息子は同じ歳のいとこと、小学生のおねぇちゃんとたっぷり遊べて嬉しそうだった。息子の面倒をお任せしてしまったので申し訳なかったけど、それでなければ料理とか出来なかった・・・。
泊まったところに洗濯機がなかったので、ウチで洗濯をしたり、寝具を用意したり、食べるものを持っていってもらったりとばたばたの毎日だったけど、困った時はお互い様。私も毎年旦那様の実家へ帰ると、とてもよくしてもらっているのに何も恩返し出来ていなかったからよかった。
いったん下がった娘の熱がまた上がりだしたのが17日。病院へ連れて行く。息子は皆さんにお願いして。先生
「うーん、治りかけていたところにまた別の胃腸風邪をもらっちゃいましたねぇ。。」と。がっくり。確かに下痢がひどかった。念のため、血液検査をしておきます、とのことで、バスタオルでぐるぐる巻き。「いたい~!いたい~!」と泣く娘。かわいそう。
たぶんロタウイルスでしょう、という診断。同年代は特に移りやすいので注意してください、と言われた。
そして案の定移った・・!息子が夜中の0時に咳き込んで嘔吐。続いて水下痢・・・しかもベッドに。真夜中に汚物処理。。。きついわ。翌朝もお茶を飲んだだけで嘔吐。ぐったり。娘も1日5,6回の激しい下痢が続き、そのたびに服を汚して着る服がなくなってきた。
息子を連れて旦那様が休日診療所へ。結果点滴を1時間したらしい。針を刺す時はそれはそれは大変だったとか。「なんでこんなことするの~!」と泣き叫んだ息子。点滴中は眠ってしまった。
帰宅してからもため息ばかりつく息子。何か食べたり飲んだりしたいけど、出来ないのでつらそう。「おちゃがのみたいなぁ。。なにか たべるものないかなぁ。。」とぽつりという姿がかわいそうで・・
16:30からなんと翌朝8時まで眠った!点滴に強い眠り薬が入っていたんだな。
菌が蔓延していそうな部屋で過ごしていた私達夫婦もなんとなく体が不調。一時的に関節痛があったり、胃が気持ち悪かったり熱っぽかったりはあるものの、何とか持ちこたえてる状態。しかし、先日娘を預けた実家の母がかかってしまったらしい。申し訳ない。。。
子ども達もようやく収束に向っている。はぁ。もうすぐ幼稚園だし体調だけは整えておかないと。縫い物、この間一気にやってよかったなぁとしみじみ思った。旦那様の家族も無事自宅に戻ることが出来た。放射能ではまた新たな問題が出て気になるところだけど、これ以上悪化しないように祈るばかり。
信号で止まった時、ふわんふわんと車が横に揺れるので、「あれ、めまい??」と思ったけど、それにしては揺れが大きい。
周りの人を見たら、上を見上げて不安そうな顔。地震だったんだな・・・。
事態の深刻さに気付いたのは病院についてから。待合室のテレビから、福島で震度7、アナウンサーの緊迫した声と、津波で数十台の車や家が流される映像。皆テレビを囲んで唖然としていた。
健診が終わり、病院を出てから車に乗りラジオを聴くと、関東でもかなりの揺れと被害が・・
旦那様の実家には旦那様が連絡をつけてくれて、食器が落ちて割れたり大変だったらしいが皆無事とのこと。私がかけた時にはもう繋がらなかった。弟二人は23区内に住んでいるので、電話やメールで無事を確認。ほっ。
帰ってからテレビの映像を見るたび、胸が苦しくなって、一体どんなことになってしまうのか呆然としていた。
その2日後、娘がまた発熱・・・。もう、いいときがあまりないくらい風邪引いてる。病院でもらってきたのかなぁ。
熱を出すといつも39度超えるので、病院行く度インフルエンザの検査もしなくてはいけなくてかわいそう。それに加え今回はRSウイルスの検査も。両鼻・・・。でも2つとも陰性。
15日に予定していた小学校の友達との集まりは、泣く泣くキャンセル・・・。ごめんね、みんな。
さて、そんな中、もともと3連休には旦那様の実家に帰るつもりでいたのだけれど、娘の病気や地震の余震もあり「来なくていいから」との連絡があったのだけど、放射能が怖いからそちらに疎開するかも・・・とのことで8人でこちらに来ることに!
結構放射能を恐れて移動する人達が多いらしく、宿も空いてないことが多いし、長期になるとお金の問題もあるし・・。なるべく安く泊まれて、幼児や乳児(2ヶ月!)がいるので和室で。。。と探したり、もしなければウチと実家に分けて泊まってもらうか・・・など話し合い、最終的にはホテルに何泊かとウィークリーマンションを借りられることになった。
娘がこんな状態なので、外にあまり出ることも出来ず、買出しの間だけ母に見てもらったりしながら、本当に簡単だけど、料理を作ったり・・・11人分の料理、初めて作った! しかし狭い我が家・・・寛げなかったかも??息子は同じ歳のいとこと、小学生のおねぇちゃんとたっぷり遊べて嬉しそうだった。息子の面倒をお任せしてしまったので申し訳なかったけど、それでなければ料理とか出来なかった・・・。
泊まったところに洗濯機がなかったので、ウチで洗濯をしたり、寝具を用意したり、食べるものを持っていってもらったりとばたばたの毎日だったけど、困った時はお互い様。私も毎年旦那様の実家へ帰ると、とてもよくしてもらっているのに何も恩返し出来ていなかったからよかった。
いったん下がった娘の熱がまた上がりだしたのが17日。病院へ連れて行く。息子は皆さんにお願いして。先生
「うーん、治りかけていたところにまた別の胃腸風邪をもらっちゃいましたねぇ。。」と。がっくり。確かに下痢がひどかった。念のため、血液検査をしておきます、とのことで、バスタオルでぐるぐる巻き。「いたい~!いたい~!」と泣く娘。かわいそう。
たぶんロタウイルスでしょう、という診断。同年代は特に移りやすいので注意してください、と言われた。
そして案の定移った・・!息子が夜中の0時に咳き込んで嘔吐。続いて水下痢・・・しかもベッドに。真夜中に汚物処理。。。きついわ。翌朝もお茶を飲んだだけで嘔吐。ぐったり。娘も1日5,6回の激しい下痢が続き、そのたびに服を汚して着る服がなくなってきた。
息子を連れて旦那様が休日診療所へ。結果点滴を1時間したらしい。針を刺す時はそれはそれは大変だったとか。「なんでこんなことするの~!」と泣き叫んだ息子。点滴中は眠ってしまった。
帰宅してからもため息ばかりつく息子。何か食べたり飲んだりしたいけど、出来ないのでつらそう。「おちゃがのみたいなぁ。。なにか たべるものないかなぁ。。」とぽつりという姿がかわいそうで・・
16:30からなんと翌朝8時まで眠った!点滴に強い眠り薬が入っていたんだな。
菌が蔓延していそうな部屋で過ごしていた私達夫婦もなんとなく体が不調。一時的に関節痛があったり、胃が気持ち悪かったり熱っぽかったりはあるものの、何とか持ちこたえてる状態。しかし、先日娘を預けた実家の母がかかってしまったらしい。申し訳ない。。。
子ども達もようやく収束に向っている。はぁ。もうすぐ幼稚園だし体調だけは整えておかないと。縫い物、この間一気にやってよかったなぁとしみじみ思った。旦那様の家族も無事自宅に戻ることが出来た。放射能ではまた新たな問題が出て気になるところだけど、これ以上悪化しないように祈るばかり。