何が好きかで自分を語るより、
何が嫌いかで自分を語る方が得意なんもゆです。
好きは感覚的な事が多く、理由は後から付いてきたりする事が多いので語るには具体性が無かったりするんですよ。
「なんか好きなんだよね」で話終わるんです。
後からついてきた理由を語る事も出来ますけど、自身で「ああ、だからやっぱ好きなんだな」と確認しながら話す感じになるんですよね。
ならんですか?
対して嫌いというのは、明確に理由がある事の方が多いじゃないですか。
なんか嫌いなんだよな、と感覚的に嫌う事も無くはないですけど理由あって嫌うことの方が多くて「こうだから嫌いなんだよ」と話せる内容が多く深くなってしまいがちなんですよ。
そう考えると嫌いなものが一致している人間の方が仲良くなりやすいだとかいう話も「人間の嫌なところだねー」ってよりは「まあ話せる点が多いので当然だよねー?」になりませんか。
自分はそう思うので嫌いを語る事に対してあまり嫌な考えもってないんですよね。
言い方とか内容とか程度とかとか…にもよりますけど、発散出来る時に出来た方が良いし、共感を得られたらなんだか安心する事もあるし。
そもそも、プラスな内容にせよマイナスな内容にせよ、人の「こう思うんだよなー」って話を聞く事自体が好きなせいもあるかもです。
自分と考えが違おうが違うまいが、人の思考聞くの楽しくないですか。
自分はするのも聞くのも好き🍣
だから配信で話すのも好きですし、皆のコメで考え聞くのも好きですしたのしーたのしーなワケ。
というわけで、私の嫌いな事の話をひとつ。
んもゆ、米をスプーンで食べるの嫌いなんですよ。
丼モノとか、スプーンで食べる人いるじゃないですか。人がするのが嫌というわけではないんですけど「お、スプーンでいくんだね」とは思います(?)
スプーンで米を食べようとすると、器に米粒を押し付けてしまうじゃないですか。スプーンにも少し米がこびりつくじゃん。
あれが嫌なんです。あの押しつける感覚が。
え、もしかして私が下手なだけだったりします?
多少潰れますよね?米。
だからカレーも出来れば真上からご飯にかけたい。ルーでコーティングされると滑りが良くなって皿にこびれつかせる感が減って米ストレス減るんですよ。
でもどろっとした欧風カレーはあまり好きでは無くて、シャバシャバ系のネパールとかタイのカレーが好きで、でもそれらのカレーはご飯ぶっかけじゃなく器は別で食べたくて、でも米はスプーンで食べるのは嫌いだから米をすくうたびに「やだな…」って思わないといけなくて好きと嫌いが混在して忙しいんですよね、ネパールカレーやタイカレーを食べるのは。
どうでもいいですか