■お花見
今日は桜も見頃ということで、家族で家から徒歩3分のたけのこ公園へ行った。
公園に着くと、鳥の羽根が散乱しているのが目に入った。
見ると、野バトが死んでいる。
頭がなく、胸が裂けている。
カラスに食べられたのだろう。
果たして、カラスはハトを食べるのだろうか?
そう思ってネットで調べると、「日本鳩対策センター」のスタッフブログがあった。
https://www.hatotaisaku.jp/about/3175/
そこでは、「鳩の天敵について」と題した記事がある。
そして、「ドバトの天敵は同じ鳥類であるカラス、ワシ、タカ、フクロウです」と書かれている。
カラスは雑食で、鳩を食べることもあるという。
■ハト
このままでは可哀想だと思い、固い木の枝を見つけてきた。
そして、桜の木の根元に穴を掘って、埋めてあげた。

このままでは、虫などにも食われて、もっと無残な姿になるだろう。
サルちゃんと愛弥美は遠巻きに見ていたが、遥梛は私の近くで、穴を掘るのをじっと眺めていた。
いつもは見せない真剣な表情だ。
生き物はいつか死ぬということは教えてある。
飼っていたジャンガリアンハムスターが亡くなった時に、良いタイミングだと思って。
だが、まだ2歳には「死」の概念を認識するには早すぎたかもしれない。
■誰も悪くない
カラスも、悪気があって生き物を食べるわけではない。
雑食の鳥で、生きていくためには何でも食べなければならない。
ハトのような生き物にも、死後の世界や生まれ変わりはあるだろうか?
私はこれまで50年以上探求・研究してきたが、やはり人間以外の生物にも「死後」や「生まれ変わり」はあるようだ。
「死」はすべての終わりではないから、たとえ飼っているペットなどが死を迎えても、必要以上に悲観することはない。
人間でも動物でも、いつかは生の終わりが訪れる。
それならば、心を込めて送ってあげれば良い。
…というようなことを、死んだハトを見て、考えた。
■花の命
家からたけのこ公園までの多摩湖自転車道では、ソメイヨシノが満開だった。
そして、たけのこ公園も同様だった。
明日は、サルちゃんに弁当を作ってもらって、家族5人でお花見をすることになった。

花(桜)の命は短いので、昔から日本人は生の儚さ(はかなさ)を感じた。
だが、「儚い」というだけでなく、死は決してネガティブなことではない。
なぜならば、死後に、もっと喜びに満ちた世界へ行けるかもしれないからだ。
「喜び」か「悲しみ」のどちらに満ちているかは、その人の今生の生きざまによるだろう。

「天国」とか「地獄」とか、固定観念を持っていると、死後に本当にそのような世界を作り出してしまうこともあるという。
「喜び」も「悲しみ」もなく、ただ生まれる時に来たところである「無」に還るのだと思って、この世を終えれば良いのではないか。
私は「生命の永遠性」があることを知っているから、死が怖いことは全くない。
私は人生の折り返し点を超えて、いつかその時が来たならば、素直に受け入れるだろう。


