先日、友人をお見送りしました。
彼女は私の初めてのがん友の1人でした。
彼女は乳癌で抗がん剤治療をし、
ホルモン治療をしている間に別のがんを患い
再び手術と抗がん剤治療を行っていました。
彼女は最後まで闘っていました。
よく『本当に頑張ってる人には頑張って!と言えない』と言います。まさにそんな状態でした。誰が彼女にあれ以上頑張れと言えたでしょうか。きっと彼女が最後まで頑張ったのは自分のためではなく、周りの人達のためでした。
彼女は私達にはいつも笑顔で明るかったです。
その笑顔の裏には、きっと私の想像を絶するような不安と恐怖があったことでしょう。
彼女は仕事も大好きでした。
治療中も仕事の心配をしていて、出来る限り出勤していました。
私は『無理しないでこういう時くらい休んでいいと思う』と言いました。
彼女は『病気に私の日常を奪われたくない』と言いました。
私は、ハッとしました。
私も自分が病気になったとき、仕事が自分の存在意義を感じられる場所の1つだったことを思い出しました。
私は軽々しく彼女に大事なものを手放せと言っていたのです。
彼女の職場も彼女が出勤しやすい体制を整えてくれていたようです。
彼女は職場の愚痴を言いつつも、いつも職場に感謝していました。
告別式の日、人づてですが、
彼女が職場で私達の話を楽しそうによく話してくれていたと聞きました。
彼女が大事にしていた場所で、私達の話をたくさんしてくれていたこと、嬉しかった。
彼女からメッセージが来たのは、旅立つ数日前でした。
『再度入院していて、息苦しくて酸素を吸入している。検査の結果、あまり良い結果ではなかった。直接みんなに会って話したい。』
私は仕事もあり、すぐに会いに行けませんでした。他のがん友が先に会いに行ってくれました。
がん友が会いに行った後、連絡をくれました。
『思ってた以上に辛そうだった。一緒にお茶を飲みながらお話しようと思ってたのに、話すのも辛そうで…。』
とてもショックを受けている様子でした。
私もそこまで深刻な状態とは思っていなかったので、急に怖くなりました。
彼女からもグループLINEに
『せっかく来てくれたのにあまり話せなくてごめんね』
とメッセージがきてました。
私達は『週末会いに行くよー』などそれぞれメッセージを送りました。
『みんなありがとね』
これが、彼女の最後のメッセージになりました。
翌朝、グループLINEに来ていたのは
彼女の訃報でした。
朝から訳が分からなかったです。
昨日LINE来ていたのに。。。
彼女はみんなに会いたいって言っていたのに、すぐに行かなかったこと本当に後悔しました。仕事が終わってすぐ向かえば少しの時間でも会うことは出来たのではないか。なんで時間を作ってすぐに会いに行かなかったのだろう。
そんな思いが頭を駆け巡りました。
でも、私の日常は何も変わらず
普通に出勤して笑顔で仕事をして、
冷静な部分の私が告別式の服装とか持ち物とかどうすればいいんだろう…と考えていました。
私がやっと泣くことが出来たのは
母親に彼女の訃報を伝えたときでした。
言葉に詰まるほど大泣きしました。
私ってこんなに泣けたんだ。
って自分でもビックリするくらいでした。
彼女の告別式は、彼女が大好きだった音楽が流れていました。
実は、彼女の告別式は
すべて彼女自身が自分で段取りをしていたのです!
式場探し、流す音楽、棺、料理…
すべて自分で選んだそうです。
私とほぼ同い年で自分の終活の準備をするという…どれほどの覚悟と強さを持ち合わせたらここまで出来るのだろう。
彼女は『自分のお別れ会は大好きな音楽をガンガンに流して明るい会にしたい!』と言っていました。
その言葉通り、号泣している私達の頭の上でノリノリの音楽が流れていました。笑
本当に彼女らしい
私達は彼女を見送った後、
このカオスな式を思い出し思わず笑い合いました。
本当に彼女は凄い人だったなぁと思い知らされました。
それと同時に
どうして神様は彼女の命を助けてくれなかったのだろう。
なぜ世の中はこんなにも理不尽で不平等なのだろう。
と思わずにいられませんでした。
社会に大きく貢献出来たであろうし周りの人を明るく元気にするパワーが彼女にはありました。
どうしてそんな人がこんなにも早く先立っていくのだろう。
正直まだ実感がありません。
がん友で集まったら、何事もなかったかのように彼女も参加してくれるような気がしてしまいます。
私はまだ運良く生きることが出来ています。
今生きていることを当たり前と思わず、この日々の日常がどんなに尊いものか忘れずに彼女に恥じない生き方をしなければならないと思うのです。