20年以上前、尾てい骨を骨折し、かなりの痛みでした。
治療が遅れたため、骨が曲がって固まってしまったと医師に言われました。
レントゲンを見ると、骨がゆるやかに内側にカーブしているはずなのに、先端から1~2センチの部分が、ほぼ直角に(^^;)内側に曲がっています。
触ってみると、以前には無かった鋭いデッパリがあり、硬い椅子に座ると当たって痛いです。
何年経っても、雨の日にはジンジン痛むことがありました。
尿療法を始めて2~3年(骨折から10年ちょっと)したある日、電車に静かに座って揺られていたら、いきなり骨折直後のような激痛が尾てい骨に走り、思わず垂直に1センチほど飛び上がりました。
幸い周りに人は余り居ませんでした。^^
お尻を椅子につけることもままならず、半分浮かせていた(T皿T)のですが、数分で痛みは引いて行き、同時に骨が元の位置に少し戻って行く感じがしました。
あとで触ってみると、完全に元通りでは無いですが、激痛以前よりも骨のデッパリが小さくなっていました。
その後、尾てい骨の痛みや違和感は殆ど無くなりました。
硬い椅子も大丈夫です。

                                                           尿療法の本に、「何年も前の怪我の箇所に良い変化が現れる」とあり、それに該当するのではないかと思います。
「歯茎が引き締まるために、歯の詰め物(金歯など)が取れることがある」との記述もあり、尿療法を始めてから2~3年後に1回と4~5年後にもう1回、詰め物が取れ、詰め直しましたが、その後は取れていません。

真冬の夜明け時、東の空の色が黒→藍→白→弱々しい橙色へと変わってゆきます。

それを背にして、ケヤキや桜の木の姿が黒々と浮かび上がります。

葉はほとんど残っていませんが、幹・大きい枝・中くらいの枝・毛細血管のような小さい枝と、それぞれが美しいバランスと調和を保って立っています。

新緑や花の頃に比べ、冬の木にマイナスな印象を持っていたのですが、シルエットで見ると、その美しさが良く分かります。

齢を重ねるほど、味わい深い見事な姿になってゆく木々は、自分にとって良い手本です。

巨木が朽ちて倒れ、苔むして土に帰ってゆくさまも美しいです。

木の肌は夏は触ると柔らかく、湿気をおびて樹液が滲み出していますが、冬は鎧のように堅くなり、寒さから身を守っています。

中では、暖かい樹液がめぐっているでしょう。

静かに静かに耳を澄ませて木の脈動を感じると、心が暖かいです。

最近、ほんの些細なことで落ち込んだり怒ったりする人が多いです。

「何故、あんなことぐらいで・・・不思議で仕方ない・・・」と考えていて、ハッと気づきました。

尿療法を始めるまでは、自分も些細なことで落ち込んだり怒ったりして、長いことズルズルと尾を引いていました。

○○○の発症・悪化も、そうしたことが原因の一つです。

尿療法を始めて何年かして、いつの間にか余り気にしないようになり、前向きになって行ったのです。

それ以前のことを、「喉元過ぎれば」で、忘れてしまっていたのです。

心が疲れる現代社会、もし尿療法をしていなかったら、相当つらいと思います。

○○○のせいで浮き沈みはありますが、○○○とシッカリ向き合えるようになったのも、心が健康になって来たからだと思います。

北海道の然別湖(しかりべつこ)では、真冬に湖面が凍り、湖の上を歩けます。

地元の方がおっしゃるには、「一枚板の氷は割れやすいが、細かいヒビが沢山入った氷は、左右上下からの圧力に融通が利くので割れにくい」とのことです。

何だか人間の心と似ているなあと思いました。

日ごろ、「これこそ正義だ!」みたいに確信して行動しがちな教師・警察・裁判所関係の人に性犯罪などの不祥事が多いのは、一枚板の氷が真っ二つに割れ、破綻してしまったように見えます。

何が正しいのか日々悩み、世間の「常識」とぶつかって傷つき、細かいヒビが沢山ある、融通の利く心でいたいです。

二年前、尊敬できる、素敵な恋人が出来ました。

最近、これまた尊敬できる、素敵な同性の友人が出来ました。

この二人と居る時は、道義に反したりギャグがつまらなかったりすると、お互いに厳しいチェックが入るので、いつも気が抜けず、自分を磨こうと思います。

考え方・行動パターンが違ってイライラしても些細なことならガマンしなければならないし、互いの欠点もさりげなく伝えて支えていかないといけません。

以前はそうした忍耐や寛容が足りずに、他者と良い関係を築けませんでしたが、少しずつ出来るようになって来ました・・・試行錯誤中ですが^^;

互いに自立して、ベタベタ依存しないこと、自分と相手との関係を冷静に見つめる「もう一人の自分」を持つことが一番大事かなと思います。

                                                 周りを見回すと、陰口が好きな人の傍には同じような人が集まっているので、友人は自分の鏡と言えそうです。

素敵な人と楽しい関係を持てるのも、尿療法のお陰と思っています。^^

銀杏や桜の葉が、金色や真紅に燃え上がっています。

散る直前が、最も鮮やかな色になりますね。

木は何十年も生きますが、落葉樹の葉は、春に生まれ秋に枯れる、一年の命です。

死ぬ間際に、最後の力を振り絞って、色を発しているかのようです。

ただ、葉を触ってみると、夏のようにパンパンに葉脈が張っておらず、シナシナした感触です。                                                        

                                                私も弱々しいながらも、一年で最後の躁状態になり、辛いことがあっても、その出来事の良い面ばかりが見えて来ます。

例えば、コップの水をこぼしたら、「床を拭いたから、床がきれいになったあ~」とか・・・^^;

でも、気は弱っているので、ちょっとしたことで、ガクッと凹みます。

心とは、心臓のように柔らかく、傷が付き易いモノですが、春~夏の心は、厚い皮に覆われていて、多少のことには動じないのに対し、秋~冬は心が剥き出しになっていて、本当に些細なことで、強いダメージを受けます。

ところが、最近気づいたのですが、心が剥き出しだと、本や音楽や映画などに、より敏感に反応するので、より強い感動を得られ、心が豊かになるのを感じます。

と言った具合に、物事の良い面ばかりを発見できます。

                                                     しかし、この文を書いている数日間に、木々の葉は殆ど落ちてしまいました。

これから、何ヶ月も寒い日が続きます。

自分の心も、葉の無い木のような状態になり、辛いです。

辛い時は、木の根元に積もって、土に還りつつある葉っぱ達を思い浮かべると、何故か心が落ち着きます。

土の中のバクテリアの熱や蠢き、木の幹や根っこの脈動、暖かさを感じます。

今、自分の根元に栄養を与えることで、春に、より美しい花を咲かせることが出来るのだ、と感じます。

                                               「春は奇跡」と、前回も引用した作家が語っています。

春は「奇跡」であり、「復活」です。

一回、完全に土に帰る、死亡する自分を思い浮かべると、心が安らぎます。

死が親しく、暖かいものに感じられます。

土の表面は冷たいですが、少し下はバクテリアの活動で暖かいそうです。

死は終わりでは無く、分解→再生ではないでしょうか・・・?

私も、死んで火葬され、燃料代をムダに使うより、桜の木の根元に埋められて、美しい花へと再生したいですが、日本では難しいですね・・・^^;

今まで、秋~冬の間、「○○○には絶対ならんぞ!!!」と気合いで撃退しようとしていましたが、毎年、冬の終わり頃に力尽きて寝込んでいました。

大自然の移り変わる様と、自分の心の起伏が似ているのに気づいてから、上記の方法には、もともと無理があったと思いはじめました。

それよりも、自然の流れに身をまかせた方が、上手く乗り越えられそうです。

桜の葉を見ると、は青々として、みずみずしく張りがあり、葉脈の一本一本に生命が脈々と波打っています。

、赤く色づいて道に落ちている桜の葉を指で揉むと、軽い力でもボロボロと崩れて行きます。

そんな状態の心に向かって、「気合い入れろ」とか言ったって無理な話で、そっとしておけば良いのです。

真冬、桜の木には葉が一枚も無く、見た目には死んでいるように見えます。

しかし、樹液は根っこから枝の先端まで、めぐっています。

生きているのです。

樹液は、凍てつく外の気温よりは暖かいでしょう。

寒い地方では、樹液が凍ると木が真っ二つに割れるそうです(「凍裂」と言う)。

それは、木の死です。

でも、外気より1℃でも樹液が暖かければ死にません。

静かに、ゆるやかに樹液をめぐらせて、眠るように立っていれば良いのです。

「冬は、昼寝の時間。春が来たら、また目覚めて美しい花を咲かせるのよ」と語った作家がいますが、そのつもりで、お気楽に過ごすことにします。ZZzz....

早朝に、淀川と言う大きな川のほとりを、犬と歩いています。

珍しい野鳥が多く見られ、河原の深いヤブには「マムシ注意(^^;)」の看板が立っていると言う、原始的(?)な自然が残っている、大阪の中心部では貴重な場所です。

川は幅が広く、流れが静かな時は、ちょっと海みたいな気分も味わえます。

高さ10mくらいの堤防を隔てて、すぐ脇を車がガンガン走っており、道沿いに1分ほど立っていると排ガスで具合が悪くなって来ます。

しかし堤防を越えて河原に入ると、大阪市内とは思えないくらいに空気が美味しく、自然の浄化力は凄いなと思います。

ススキの穂が枯れるにつれ、通り抜ける風の音は毎日変わるし、折々の草花の色や匂いも、日々少しずつ変わって行きます。


6時半ころ、徐々に空が明るくなり、東の方角、奈良の生駒山(いこまやま)の稜線から、仏像やキリスト像の後ろに描かれるような光が差して来ます。

ついに太陽が姿を現すと、まさしく

「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 」(^^;)と言う感じです。



川面や雲が輝き、色や形を刻々と変えて行きます。

昨日と同じ絵模様は決して無く、「こんな美しく素晴らしいモン、初めて見た!!!」と、毎朝思います。



○○○(前々項参照)が重い時は、過去にあった嫌な事を思い出して、余計悪くなるのですが、太陽光をタップリ浴びた日は、思い出しても辛くないと言うか、「あの時は仕方なかったのかも」とか「あの人には×××な事情があったのかも」などと、ゆとりのある見方が出来ます

その日1日、眠りにつくまで、心が「暖かい」感じです。

曇りや雨の日は、その感じが少ないので、太陽って偉いな~と思います。

太陽よありがとう\(^0^)/

6~7才のころだったと思います。

夏の夕暮れ時で、母が庭から慌てて取りこんだ洗濯物が、畳に投げ出してありました。

「たたんでおこうかな・・・」などと、普段には無い殊勝な気を起こしたのが災いしたのか。

一枚目のパンツをグッとつかんだ瞬間に、経験したことのない鋭い痛みが、手のひらに走りました。

バッと手を離すと、パンツの陰から、1cmほどの小さな黒い蜂が転がり落ちました。

私がパンツをつかんだ時に握り潰したのか、瀕死状態でピクピク動いています。それを見ている数秒間に、親指の付け根の膨らみが、赤く熱を持ちパンパンに腫れ上がって来ました。

いまだかつて無い腫れのスピードと熱さに驚いたせいか、自分でも初めて聞く変な叫び声を上げてしまいました。

それを聞いた途端、台所にいた母が、これまた初めて見る、目を釣り上げた顔で飛んで来て「どうしたの!!」と叫びました。

手を見せながら「蜂に刺されたぁ~」と泣き声で言うと、「蜂はどこ!!」と叫び、私が指差した先にいる蜂を鬼のような形相で踏み潰しました。

そして「おしっこをかけるのよ」と叫び、私をトイレに引っ張りました。

普段はオットリしている母の恐ろしい剣幕に、ほとんど痛みを忘れながらトイレに走り、患部に自分の尿をかけました。

患部の熱さと腫れが、ウソのように引いて行きました。    

 

・・・この事件、ずっと忘れていたのですが、宮松宏至氏の本で蜂の話を読んだ時に、ハッと思い出しました。

必死な母の姿が、鮮やかに脳裏に浮かびます。

そんな母ですが、私がいくら薦めても、尿療法をしてくれません。

私が蜂の話をして「あの時、尿をかけろって言ったじゃないよ!!実際効いたし。」と言うと、「えぇ~そんなことあったっけ~?蜂に尿なんて迷信よぉ~?」ですと・・・。

あの時、パニック状態でトッサに言っただけかいな。^^;

しかし、そういうトッサに出る行為の中に意外と真実があったりするんですよね・・・。

十年以上前から、「季節性○○○」の気(ケ)があります。 

○○○は一般に「心の風邪」と呼ばれています。

なぜ伏せ字なのかというと、最近調子が今ひとつで、○○○と書いただけで調子がウムムになるからです。

(以下、○○○には全て同じ語句が入ります。)

季節性○○○は、若い女性がなることが多いらしく、年をとれば自然と治るそうです。

若くもないのに、治る気配がありません・・・何故でしょう^^;

尿のせいか少し若く見られ、切り傷や擦り傷の治りも10代の頃くらいに早い(尿を塗るから)ですが、その辺が関係あるのかな~・・・;

                                               また、季節性○○○は春~夏は気持ちがハイになり、秋~冬はその逆になります。

病までは行かずとも、そのような心の変化は、昔から多くの人にあるのではないでしょうか・・・?

毎朝、犬と公園を散歩して気候・木々・草花・小鳥などの様子を良く観察していると、自分の心の動きと、かなり似ているのに気づきます。

は大気も地面もヒートして草木も勢いよく成長しまくります。    

私も勢いに任せて仕事・遊びと飛び回ります。

、いきなり大気も地面もヒンヤリして落ち着き、草木もパタッと成長が止まります。                                                 私もいきなり今までの調子が止まります。

                                               、徐々に寒さが厳しくなり、落葉樹の葉はシワシワにしなびて、最後の一枚までも落ちて行きます。                                             桜の木には来春用のツボミがついていますが、凍えるような晩にはツボミも殆どフリーズ状態で、触れただけでポロッと崩れてしまいそうです。                                                                       私も似たような状態になります。                                   それが3月下旬まで続き、3月末にいきなり大気が暖かくなり、ツボミが膨らみ柔らかく大きくなって来ます。                                           同時に草花や木の芽が狂ったように噴出して来ます。

です。                                                     雀などは人が近くにいるのにも構わず、狂ったように交尾する有り様です。                                                         私も突然部屋で一人で歌い出したり・・・あの一週間前までのポロッと崩れそうな状態は一体どこへ??                                           呆れながらも勢いが止まらず、夏に突入して行くのです。

                                               「大自然の流れをそのまま踏襲(?)している自分の心は病気ではなく、正常な状態ではないか?」と思ったり、「都会は季節感が薄いから、代わりに人間の心が季節感を実現するようになったのだろうか?」とか考えたりしています。

多面的に見ることで、○○○に対して、より親近感を覚え、また対策案も練りやすくなります。

○○○は、こちらが弱気に逃げれば逃げるほど巨大になり追って来ますが、向き合うと怖くないです。

                                               

次に、自分の経験から「普通の風邪(感冒)」と「心の風邪」に少し共通点を感じたので、挙げてみます。

                                                ★甘く見て不摂生していると、こじらせて死に至るが、年間を通じての予防を行えば、かかっても病院に行かずに治す事が可能(くまでも私の場合ですが、良い医者に当たらなかったこともあり、二度と○○○で西洋医学の医療機関には行きたくありません。余計悪くなりました)。

★引いてしまったら諦めてジタバタせず、可能な限り心身を休め、グウタラすると治る。

                                                        

以下は、自分流「季節性○○○の予防法」です(ネットや本なども参考になりました)。

どれも大変効果がありました。                                                           ★尿療法をする。

★睡眠・栄養をなるべくキチンと取る。

★魚を毎日食べる(魚に含まれるDHAが○○○に効くと新聞にあった)。

★太陽光を浴びる。

★夜は、遠出を避ける(近所を歩くのは大丈夫だが、何故か乗り物は・・・-o-;)。

★天気の悪い日は、光療法をする。

(オススメ↓)

http://www.accord-intl.com/sunrise/sunrise.html/

http://www.accord-intl.com/trv/trv.html

予算的に苦しい場合は、こんなライト↓を要るだけ買う(私なら5個は要るかも)。

http://item.rakuten.co.jp/ayahadio/4901087149360/

どのライトも、かなり熱くなるので、火事に御注意を。

★家中の電気を、太陽光に最も近いと言われる「バイタライト」に換える。

高いが効果大。

http://www.marutoki.com/

★太陽光に似た色(黄色・金色・白に近い金色・ベージュ・キャメルなど)を身の回りに置く・身に付ける。

逆に自分が見たくない色は出来るだけ排除する。

★運動をする(苦手な場合は、部屋の掃除やガーデニング、一駅以上手前で下車して帰宅など、体を動かす)。

★「病は気から」なので、受験生が「お○る」「す○る」などの言葉を使わないように、マイナスなイメージの言葉は決して使わない、脳裏にさえ浮かべない

★重要な用事以外では出かけない(些細なことでも疲れるから)。

★月に一回は、誰かと食事か遊びに行く(←これは重要な用事!)。

ずっと一人でいると、ドツボにはまるから。

気が進まない時は、前もって約束をして、行かざるを得なくする。

家に来てもらうのも良い。

★映画を見て泣く(カタルシス)。

本・音楽・美術・舞台鑑賞でも。

★「屋根があってありがとう」「食べる物があってありがとう」と、細かく一つ一つに感謝する。

★たいして好きでない本などでも、読むと気がまぎれるので、ただウジウジしているより、くだらないことでもドンドンやる。

★私は飲んでいないが、漢方薬も効くらしい(症状を詳しく説明して処方してもらう)。

                                                             軽い症状の時は、自分の甘やかし過ぎは逆効果です。                            例えば運動をサボると返って辛いです。

いつもご来訪ありがとうございます。

よろしければ書き込みもして下さいね^^

「人のページに書き込むのは気を使う」という方は、ご自分のブログの開設がオススメです^^

(尿療法をしている方には、ビックリするような体験をしている方が少なくないでしょうから、興味深い話には事欠かないと思います。)


今までの文章を、折りに触れ、より詳しく正確な情報に修正してゆきますので、よろしければ、ご覧下さいm(_ _)m


小学生の時、アレルギー性鼻炎と診断されました。

しばらく通院しましたが、治る気配が全く無いので止めました。

以来二十数年間、鼻で息をした記憶が殆ど無く、口呼吸が当たり前になっていました。

肺炎で体調を崩した後、さらに悪くなり、カレー以外の食べ物の味が全く分からないことも、ちょくちょくありました。

(鼻炎の辛さを知るには、鼻をつまんで食事してみて下さい。^o^;)


尿療法を始めて5年目くらいから鼻呼吸になり、以来ずっと鼻呼吸です。

匂いを嗅げるのが余りにも嬉しく、電車で隣に座った人の口がクサイのさえ「おお、(クサイ)匂いが分かる!」と感動するほどでした。

それまでいかに「匂いの無い世界」に住んでいたか、二十数年ぶりに気がつきました。

一日に何度も、鼻呼吸している自分に気づき、そのたびに尿療法を与えてくれた大自然と、尿療法を選択した自分の中の「真の叡知」に感謝するのでした。


それが最近は、匂いを嗅げるのにも慣れてきて、感謝の気持ちが薄れてきました。

治る前はカップ麺など添加物を避けていたのに、また食べ始めました。

このブログ(日記)で自分の病歴をさかのぼっていて、そのことに気づきました。

反省して自粛します(-o-;)