ある方の投稿を拝見して井上の見解です。
あじさい

かなりショッキングな内容かと思いますので、閲覧要注意です。









改札外で人と待ち合わせをしていたのですが、
突然、恐怖感が募るくらい物凄く勢いで怒鳴り散らしていたので、
振り向くと改札内でいやだいやだと言うことを聞かない女の子と改札から出た母親。

「てめぇふざけんなよ!こっち来いよっ!」
と怒鳴る母親。

怖くて怯え後ずさりする女の子。

「ふざけんなよっ!」と、怒鳴りながら再び改札内に入っていく母親。

後ずさる女の子に「フザケてんじゃねぇぞ」と、怒鳴り
 
女の子の膝辺りをいきなりローキック。
その場で泣き崩れる女の子。

私は改札の外にいたので「やめなさい!」と言いつつ危機感を感じて慌ててムービーを撮りました。
だから映像はここからです。


ただ、暴力を傍観していたのではありません。
可愛い我が子を蹴り倒すなんてとても考えられない。
想像力不足でした。
 
言葉では虐待と聞いて知ってはいましたが、目の当たりすることは初めてでした。

映像を撮った理由は証拠を押えることと、その場でのお母さんの抑止効果になるかと。
でも、甘かったです。
全然関係ありませんでした。

ローキックで倒れて泣く子供。
立ち上がって連れて行く時に、また腹が立って怒鳴り散らし
子供の背中にミドルキックをして倒れざまに頭を打ち付けました。
打ち付けた音と振動が今も耳と足先に残ってます。

僕はやめろ!ビデオを撮ってるぞ!警察を呼ぶぞ!と声を上げました。
母親とは目が一瞬会って子供を抱きかかえ走り去りました。
来た改札を抜けたのか、すぐ近くの別方向の改札に行ってしまったのか。
逃げられたが、本気で取っ捕まえて連行しようと思いました。
女だけど本気でぶん殴って連れて行くこともできたでしょう。

本能的にとった僕の行動が、
これからうちに帰るまでの道中にあの子供に更に危害が及ぶ恐れがあります。

わがままをいう事も多いけどそれも子供の仕事のうち。
徐々に何が良くて何が悪いかもしっかり学んで行きます。

躾は必要だし、僕も躾の範疇で叩くと思います。
必要なことだと思いますが、あれは明らかに度を超えて行き過ぎです。
 
 
きっと、子育てしている日頃生活環境でのストレスがそうさせてる。
母親もイライラを解消出来ない状況、環境にあると思います。
子供は怖い顔をして怒鳴るから行きたくないんです。
あの子はトラウマを抱えるでしょう。

そういったものまで解消出来る手助けが出来るようになりたい。

悔しいのは周りの大人は見て見ぬ振り。
それもショックで悔しくて、
思い出すと目頭が熱くなります。

言っても仕様が無いよ。
そこに費やす時間の無駄というのは簡単。
でも、口にしないことは本当の解決にはなりません。

その場その時に居合わせたとしたら、
あなたはどう行動しますか?






<井上の見解>

映像は見ていませんが、すみません、文章を読んだだけで想像で話しています。
長文です。

一般的には判断は難しいところですが、経験者としては、ここまできている方の場合、一旦親子を切り離した方がよいかと思います。
それはこの親子のお互いのために。

人前で、ここまで子供に暴力をふるうということは、周りから見えないであろう家庭では、かなりエスカレートしている可能性があり、子供の命の危険があるからです。
子供の命を奪うことになるのであれば、たとえ、血のつながった母親であっても許されるものではありません。
それに気づいた周りの人間が、必ず阻止するために動く必要があります。
ですから、警察や、児童相談所に通報するべき内容のものです。

それは、母親を罰するのが目的ではなく、明らかに母親自身に多くの問題を抱え、その問題が自分のキャパシティを超えているためなので、まず母親の根本治療が必要になってくるかと思います。
そのための隔離です。

このようにまず親子を切り離したとしても、更に問題は出てきます。
母親が改心したいという気持ちにまでもってくることです。
これはとても時間がかかります。

たった一定期間だけ切り離しただけでは、そうやすやすと改善はできません。

例え、母親が、言葉や態度で改心したといって引き取ることになろうとも、根本治療がなされない限り、子供を母親のもとに帰しても、この母親はまた同じことを繰り返します。
残念ながら、もう、そこまできてしまっている親子なのだと推測します。

本来なら、ここまでくる状態になる前に、その母親がこのような状態に踏み込んでしまう前の入り口だった段階があったはずです。

そのときの葛藤、辛さを理解でき、信頼できる人物が、周りに存在していればいいのですが、そういう人物が身近にいなかったため、ここまできてしまったのではないかと思われます。

周りが「犯罪だ」「虐待だ」といっても、この母親の心はもうズタズタのボロボロの状態なので、本当に、心から命をかけてこの母親を抱擁できる存在と出会わなければ、修復は困難となります。

もしも、この親子の関係の異常さに気づいた人がいるのなら、その気づいた人が取り組めばよいのだと私は思います。
取り組むというのは、まず自分自身が本来あるべき親子の姿になろうと努めることです。

この光景を見せてくれた親子は、その親子で改善していかなくてはならない道を辿っていかなくてはなりませんが、これは私達自身のために、この光景を見せてくれたのだと受け止めればよいのだと思います。

見ていて何かを感じた人たちは、まず、自分ができること、自分自身がここまでに至らないように意識を高めてとりくむことができます。

そして、その意識をもてた人が、自分の家庭だけではなく、更に自分の周りにいる人達に意識に広めることが大事です。

この親子をなんとかしたいと強く願い、思い、働きかけることも素晴らしいですが、恐らくなんとかしたいと思って、その親子の間にたって努力したとしても自分の無力さに気づくことでしょう。

だからこそ、意識のある自分から「自分を変える」「自分の家庭を変える」「自分の家族を大事にする」必要があると私は考えます。


これは無駄なように思いますか?


でも、その努力が、いつしか、このような末端の辛く悲しい連鎖を断ち切れない親子にいきつく。
そう私は信じています。


現に私は今自分自身と、自分の周辺から少しずつ手をつけています。
いつか、必ず虐待のない世の中にするんだ!という野望をもっています。
それは途方もない、何十年、何百年先になるかは計り知れませんが・・・。
(何百年て寿命がきているでしょうが(^^;)

その思いこそ、今の私の活動源です。


自分でできることをすること。
それこそ、この親子を救うことにつながると私は信じています。

長文お読みいただきありがとうございました。