直峰城(ノウミネジョウ)は通称「城山」と呼ばれ…というか山城の事は大概「城山」と呼ばれている。
越後から関東へ通じる三国街道を眼下に望み、戦略上重要な位置を占めていた。
有名どころでは上杉謙信が無くなった後に起こった御館の乱にて戦功のあった樋口惣右衛門兼豊(直江兼続の父)が城主になった事もあります。
上越出張初日に気合を入れて早出をして、そのままの勢いで仕事を済ませたら10時でした。
ちょっと時間が余ったので近くで簡単に登れそうな山を探したら直峰城址に行き当たった。
安塚地区に入りキューピットバレーに向かう途中で看板に従って左折して山に入って行くと再度看板が有るのでもう一度左折。
突き当りが駐車場になっており、そこから妙高山が見える。
駐車場奥の建物にトイレが在るので小用を済ませてから登り始めます。
…忘れちゃいけない熊避け鈴をズボンのベルトに引っ掛ける。
「風間祭」の幟が有りました。
この「風間」とは風間公親ではなく風間信濃守信昭の事です。
新田義貞を主君と仰ぎ、足利尊氏を苦しめた人で、日蓮上人が無くなられた後の日蓮宗の屋台骨を支えた人です。
新潟県和島村(現長岡市)の妙法寺、神奈川県鎌倉の実相寺、神奈川県名瀬の妙法寺を建立した人らしい。
観音堂と有るので右折して寄り道。
多分この尾根沿いに行くと麓の集落まで行けそうです。
麓にある賞泉寺は城主の菩提寺で、安置されている観音様は元々此処に有ったモノと言われている。
廃城になった際に寺に預けられたのでしょう。
この山も沢山の射干が咲いています。
翌々見るとアオウミウシに似ているなあ(笑)
蛇イチゴ?
実に上手い事山の地形を利用して空堀や屋敷を上手く配置して作られている。
城があった頃に思いをはせてみると、今は誰もいない筈の山が活気に満ちて感じられる。