長野県北部地震から10年が経過しました。
完全に東日本大震災の影に隠れてしまい甚大な被害を被ったにも拘らず我慢しか出来なかった被災者たち。
私も、知っていながら見向きもしなかった内の一人です。
中には「自分たちも被災している。と声を上げたいが東日本大震災の映像を見てしまうと何となく我慢せざる負えない様な気になる」と言って自分たちで炊き出しをしたりしていた小母さんや小父さん。
後に、その事実を目にして少しだけボランティアを手伝う様な事はしましたが、未だに後ろめたい気が晴れません。
でもね、多くの災害が起こった中で確実に増えたと思えるのは「ありがとう」の言葉ではないだろうか?
人に何かをしてもらったら「ありがとう」を言うのは当たり前の事ですが、中には世の中を斜に見ている人もいて人の善意に悪態で返してしまう人も多く見受けられましたが、最近は悪態が聞こえずに素直に「ありがとう」と返す事が多く聞こえていると思う。
些細な事だけれど本当に人の繋がりの大切さ「絆」を見て撮る事が出来ていると思う。
昔は電車やバスに乗っていてお年寄りに席を譲ると「人を年寄り扱いするな!」とか帰って来たりした物ですが、席を譲る第一声を上げるのにどれだけ勇気がいる事か。
一言で縁を断ち切らないで頂きたい。
勇気を振り絞った言葉をけなさないで欲しい。
人と人の擦れ違いも縁であり、小さな親切が重なって絆になって行くのではないのか?
何かしてもらったら先ず「ありがとう」を言いましょう。
その事が有難迷惑なら気持ちだけ受け取る余裕を持ちましょう。
その方がお互いに気持ち良くいられます。
そこから繋がって行くのも縁です。
そんな「ありがとう」が街の其処此処で聞こえる様になった気がします。
多分、私が生きて行く中で、まだまだたくさんの災害が有る事でしょう。
現在のコロナ禍も災害の一つではないでしょうか?
せめて「ありがとう」の輪は切らない様に絆を紡いでいきたいですね。
分が下手で言いたいことの半分も言えていませんが「ありがとうございます」