前回の引き続きになってしまって申し訳ナイんですが

今回のこの記事も、しんぼるについてですw

 

さきほど、ご存知の方も多いとは思いますが、

日本語ラップ界の大御所、ライムスターの宇多丸氏のやってる

ウィークエンド・シャッフルというラジオ番組の中の、

”シネマ・ハスラー”というコーナーがあるんですが、それを聴かせて頂きました。

このコーナーの主旨がですね、

映画のタイトルの書かれたサイコロを振り、

出た目の作品を実際に観に行って、

そして番組内でその作品の批評をするということなんですよ。

それでですね、前回の放送分がしんぼるだったんです。

辛口批評で有名なこの番組の中でですね、

あのしんぼるが果たしてどう(宇多丸 a.k.a.)師匠に斬られるのか。

あれを観てどう思ったのか。

昔から思い入れというか、愛着のあるふたりが

直接的ではないにしろ、初めてリンクする場面ということで

俺的にはすごく興味・関心が沸きましてですね。

それがきっかけなんですけど。

 

まあ、正直ね、師匠。

ここまで的確に、的を得た意見を聞けるとは思わなかったですよ。

ちゃんとフォローもしてるし、

でもしっかり芯をくった批判をしてる。

どっちかって言うと批判しにくい立ち位置であるこの人に対してですよ。

俺は聴きながら唸らされたね。

っていうような目からウロコ的なことも幾度も聞けたし。

観た俺がみんなが、思ってるけどうまく表現できない部分を

ズバッと斬ってくれてるから、松本ファンが聞いても納得できる、っていうか。

映画とは関係ないけど、ラッパーが故なのか

師匠ってやっぱボキャブラリー豊富だな~賢いな~って

つくづく思わされる喋りだった。

そしてあまりかまずに、饒舌な語り口で聞いてて気持ちがよかった。

俺が前回書いた批評なんかよりも、

全然わかりやすく、的確に批評してるからぜひ聴いてみてください。

※ただし、かなりネタバレしちゃってるんで、

視聴予定の方は聴かない方がいいカモ!

http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090919_hustler.mp3

 

くどいようですが、あまりにもわたくし今回のこの

しんぼる批評に感銘を受けましたので、

上のリンクから聞けない!聞ける環境にない!

という皆様にですね、僭越ながら自分の意見も交えつつ

ある程度掻い摘みながら下に書き起こさせて頂こうと思います。

ちなみに、もちろんALL師匠の一人語りです。

(一応、青字は俺の意見。ほぼ全て同意見だけど)

 

 

先週のサイコロで当たった映画は、こちら!

しんぼる。

2007年の初監督作、大日本人がカンヌ国際映画祭に出品されるなど、

映画監督として華々しいデビューを飾った、松本人志監督の長編第2作。

前回同様、企画・主演・監督を松本人志が務め、

謎の密室に閉じ込められた男と、メキシコで活躍する中年プロレスラー、

二人の全く異なる物語を、同時進行的に描いていくということでねー。

 

(視聴者からのメールの部分など、省略)

 

まあ、基本的には普通の映画とは明らかに、身構えてきてるお客さんばっかりなわけですよね。

これは私も含めて。褒めるも貶すも含めて、身構えてきてる。その通りです。

こんな映画なかなかないですよ?確かに。

良くも悪くも、あの偉大なる松本人志が撮ったものなのだから!という

前提ありきっていう、これはもう仕方ないですね。この日本で、我々が観る以上は。うん。

そういう映画であるということは、それがあるからこそ松本人志さんは映画を撮り続けられるという立場。

そういう立場だからこそ、意味をみんなちゃんと読み取ってあげるっていう恵まれた環境でもある。

それを作ったのはやはり、松本人志さんの偉大なる功績が故。うんうん。

これは誰にも否定できない所だし、ゆえに!

やっぱりハードルが上がっちゃうってのもこれ、否めない所で。これは絶対ある。

 

(中略~松本以外の芸人が撮った2作品について↓)

 

やっぱりその、お笑い芸人ならではの、面白さ。

これ、面白さってのは、それは今日も何回も使いますけど

笑えるってことだけじゃなくて”interesting”って意味ですね。ふむふむ。

要するに興味を惹かれたりとか、これ面白いな!って言えるってことです。

っていう意欲がね、まあ僕が観た2本。

まあ正確に言うと「ドロップ」と「ニセ札」ですけどー。からはその、お笑い芸人ならではの!

っていうのはね、やっぱり感じられないんですよね。

それぞれ2本。まあ全然違う出来なんですけどー。

なんかその、「映画監督っていう箔がそんなに欲しいんだ?」っていう気がしちゃうんですよ。

まあ、北野武みたいにね、いきなり映画に愛されちゃったっていう

特殊な才能を持った人は別格としてね?

やっぱりお笑い芸人が映画撮るんであれば、お笑い芸人って何ですか?だって。

面白いことっていうのも追求者なわけでしょ?

が、面白いこと1コもない、普通よりも何ならちょっとつまらないものを撮って満足しててどうすんのか?

って思ったんですね。お笑い芸人としてそれはどうなんだって思うわけですよやっぱり。

そういう覇気のないものを観ると。腹立つよな確かに。

そこへいくとやっぱ、松本さんっていうのは、大日本人っていうのは少なくともお笑い芸人ならではの、

なにか面白いことをやろうという、新しいことをやろうという、その志。には溢れてる。文字通りね。

そこはもう疑いようがないわけですよ。間違いない。

まあ言ってみれば自分が築き上げてきたお笑いのキャリアというものでもって、

映画というまあ、巨大なある種、権威ですよね。に、対抗しようとまあ、しているわけですよね。

で、その志の部分っていうのがね、多分にある割には、

映画というものに対して無知であるが故に、質がついていってない。映画として。残念ながらね。

だから、作り手のプライドやエゴ及び、それを甘やかす構造というものだけが際立ってしまって、

余計に反感を催すっていうのはあると思うんですよね。で、尚且つその、大日本人で言えば、

まあ、賛否両論でその否の部分も気になったんじゃないんですか?松本さんは。

事後のインタビューで、「作ってないやつになんか言われたくないよね」みたいな、

あの~、それは絶対に言っちゃダメな一言…。まあわかるけどガッカリはするよね。

ほんっとに心底、ガッカリしちゃうような発言もされて。

よっぽど悔しかったんでしょうけどー。っていうもので、余計反感が増しちゃう。

で、僕の批判も概ねそういうものでしたやっぱりね。

うーん、とは言え、何か独自の面白いことを、本気でやろうとしてるってだけ、やっぱりさっき挙げた、

ただ映画監督の箔が欲しいだけの作品と比べたらもう、5億倍マシなんですよやっぱり!はいはい。

でー、よく考えたら大日本人も僕好きな場面はいっぱいあったんですよ。

大佐藤がスクーターで坂を上っていくカットとか

すごく好きだったりしたなーとかそういうとこも思い出したりして。あそこ俺も好きだなー。

すんません。言いたいとこもあるけど、好きなとこもありましたみたいなね。

ただね、大日本人も僕は決して上手くいったとは思ってない、

その原因としてちょっと僕の考えがあるんですけど。

要は松本さんという方は、恐らく所謂そのー、お話ですよね。それこそハリウッド的なといいますか、

娯楽映画が持っている物語構造。みたいな意味でいうお話。

を、語ることには全く興味がないんじゃないかっていうことなんですよね。言い得てるかも!

要はそのー、何か面白いアイディア。の、ディティールをどんどんどんどん細かくしてくことによって、

展開していく面白さ、だったりとかさ。要はアイディアとディティールの人っていうね。

まあ前にヴィジュアルバムっていうね、前にビデオで出た作品とかも大体さ、

オチはどうでもいいじゃんっていうのが多かったと思うんですよね。

うーん、例えば不動産屋に行ってさ、浜田さんとやりとりして。あれは俺も好き。

その、やりとりが面白いんですよ。で、最後は結局部屋に連れてって、

窓をガラッて開けて終わるんだけど、「そこは別にどうでもええやん」っていうさ。

「今までで十分面白かったでしょ?」「ああ、面白かったです」っていうそれはね、

いいんですいいんです。コントならいいんです。ただそれ、せいぜいもって30分ですよね?うん!

つまり、お話を語る気がない、アイディアとディティールを細かくしていくっていう人なんだからやっぱりね、

資質としては映画向きじゃあないんだよね。なぁるほどぉ。

で、やる土壌がないから映画でやるんだっていうならね、じゃあオムニバス形式でやってくださいよ。

ヴィジュアルバムみたいに。だったら、もうちょっとこっちも面白いっていう印象持てるかなーっていうね。

で、今回しんぼるで完全に僕はその確信を深めたんですよね。

えっと、メインになってる白い部屋から脱出するっていうエピソード。

だけで、30分の作品だったら、事後の印象「ああ、まあ面白かったっす」って感じれたと思うんですよね。

事後の印象もっと良かったと思うんですよね。

脱出したはいいが…?ってあのくらいで(終わりで)いいじゃん。

僕あそこはすごい笑いましたよ。なんだけど、俺はそこも微妙だったけど。

やっぱりその映画という体裁を整える為にか知りませんけど、

その白い部屋と対比するようにさっき言ったその、

メキシコの覆面レスラーの物語を対比させてく。

なんでかっていうと、まあ松本人志なりの、映画らしさの演出ってことですよね。

で、その落差でこの面白さを表現するという意図なわけでしょ?

まあ確かにそのメキシコのシーンは、これが松本の映画?

って思うぐらい、普通の映画っぽい見た目にはなってるんですね。

…でもね?そのレスラーの人が最初に出てきた場面とかさ、

普通の部屋の中でマスクかぶったまんまだったりして、

なんか中途半端にお笑い的な燻りをそういうところにも入れてきたりしてね、あ!確かにw

違うでしょ。もし松本さんの意図が所謂映画的な対比であるとすればね、

このメキシコのエピソードは、これ以上ないほど大真面目に。

ドラマとして成立させなきゃダメでしょ。映画としてこっちは。その通りじゃんこれ!

なのに、こっちはひじょ~に表面的にキャラクターをなぞるだけで

やっぱり全体的に平凡で退屈なんですよね。

つまりその、観てる側はさ、関係ないその白い密室で、

パジャマの男が脱出を試みるっていうエピソードと、

そのメキシコのレスラーのエピソード。関係ないエピソードだけど、

観てる側はやっぱりそりゃ後でこれ、なんかこの2つが交差するんでしょ?って当然。

当然それは思うじゃないですか。わかってるわけですよそんなことは。勿論俺もわかってた。

っていうかそれが交差しなかったらそれがほんとに驚きだけど。

実際するんだしさ。それは全然驚きでも何でもないわけよ。

で、で、その対比として用意してるメキシコシーンを、

こっちはこっちで本気で面白く作ろうとしてないから、

こっちだけで単体で観ても面白いって思うように作ろうとしてないでしょ明らかに。

だから、こっちのメキシコシーンはただの、

あとでサプライズ用のネタフリだってこっちもわかってるからー。

退屈だなぁ…ネタフリの為のネタフリを見せられるってのはっていう。ほんと、退屈極まりない。

でね、その関係なさげな2つのエピソードを、

並行して語ってあとでそれが交わるっていうアイディアそれ自体はね、

なんか作り手の皆さんインタビューとかで、「こういう映画他にないでしょう」とか言うんだけど、

あるよ!別にw それは普通に観客にも予想がつく程度の

普通のアイディアでしょうだってカットバックとかってそういうことだからさ。

で、実際ね、いよいよその松本さん演じるパジャマ男の方と、そのメキシコの方が、交差するとき!ね?

ここは、段々段々重なってくるなってときに、

カットバックで要するにお互いのカットの切り替えが段々早くなっていくわけ。

それってすごく普通だよね?w 交差してくとこが段々早くなってって

ああー!重なる重なる重なったー!って、普通じゃね?それ。昔からある手法だよね。

で、まあいいよ。そこは全然普通でもいいんだけど、

そこまでは観客はそのアイディアには何一つ驚いてないわけ。

どうせ交差すると思ってたんだから。なにで驚くかって言ったら、

そこで起こる出来事が、こちらのド肝を抜くような、

面白いこと…なんでしょうねー!!と思って観てるわけ。こんだけ引っ張ってるんですからね、

これはさぞかし面白いことが起こるんだろうなぁ~!で、起こることがね、

…あのー、悪い意味でー、ほんとに単にくだらないだけっていうかね、これがね、

いじょ~~~にくだらないまでいってればまだいいんだけど、

なんかビミョーなくだらなさなんだよね。で、皆多分ここで、

「あれっ…ちょっとどうしよう…、ほんとにつまらない…」って、

頭を抱えた方が多いんじゃないかと思うんですよね。そこまで思わなかったけどガッカリしたのは事実。

で、こっから先は確かに、若干その観客の予想を超える的な展開があるんですけど、

それが面白いかどうかについてはまた後ほど言いたい。

ま、とにかく、その白い部屋と所謂現実社会とのリンク。

並行話法みたいのは、全く効果的とは思えない。確かに。

とは言えとは言え、そのメインの白い部屋からの脱出エピソードっていうのが、

ちゃんと面白ければ、まあ他が雑だったり多少つまんなかったりしても、

まあいいってことじゃないすかそれは。

松本さんは、前述した通りアイディアとディティールの人であって、

ストーリーテラーではないわけですから。

これ実際しんぼるって映画は完成台本があって作ってる作品じゃないんだそうですよ。

昔からコントとかもそういう作り方だよね。

現場でアイディアを皆さんと相談しあってどんどん膨らましてったっていう

あれですから、その意味では白い部屋のエピソードが面白ければ

そのヴィジュアルバム的には納得できましたってことになると思うんですね。

しかも、この白い部屋のシークエンスっていうのは、

前作の大日本人の所謂フェイクドキュメンタリーっていう形式よりも、

もっともっと全然わかりやすく、所謂コメディー的なシークエンスなわけですよね。

しかもそのコメディ的っていうのが、これ作り手自身が言ってることですけど、

「無声映画的表現」とまで打ち出してるわけですよね。

セリフが少なめで、大日本人のときに伝わなかったそういうニュアンスも

それなら伝わるんじゃないかと思って…

みたいなこと言ってるわけですよ作り手の皆さんは。

それって実はすげえハードルが高いことを言っちゃってんだけど、師匠段々怒ってきたw

多分、そのハードルの高さっていうのはあまり意識してないんじゃないかと…

まあいいですよいいですよ!つまり、この場面でこそ、

じゃあコメディ映画。ね?少なくともその映画という舞台でやってるわけですから、

コメディ作家としての松本人志さんの真価が問われるわけじゃないですか。

ところがねぇ~、これ結論から言えばねー、すごい優しい言い方すれば勿体無い、と思いましたね。

コメディ的にも笑い的にも映画的にも面白いことがしやすい設定だと思うんですよね。

ところがね、要所要所で余りにもね、安易にテレビ的なお笑いメソッド

みたいなものをかぶせてくる所為でやっぱ

台無しになっちゃってる部分が多いかなって気がすんですよね。

まあさ、いきなりよくわかんない部屋に閉じ込められて、

その部屋に仕掛けられた様々なトラップを、最終的に解くことで脱出していくと。

ま、これほら、映画でいうとCUBEなんて映画ありましたよね。そうそう!

だからこれだって斬新でもなんでもないわけ。そういう映画はあるんだけど。まあいいよいいよ。

その、ゲーム感覚な仕掛けってのがひとつと。SAWもそうだしね。

で、もうひとつはあの、ヴィジュアルバムの2巻目かな?マイクロフィルムってやつで。

あのー、要は中国マフィア風に扮した松本さんや板尾さんとかが、
ココリコ遠藤さんを殴る、すごくリンチしてると、

遠藤さんのお尻から色んなものが出てくる。ウンチまみれのw

っていうすごく面白いあれがあるんですけど、そういうだから、あれのちょっと変形ですよね。

一見、ランダムに出てくる”物”っていう。その物の、言ってみれば文脈的な部分で笑わせるみたいな。

物の持つ文脈のズレで笑わせると。でね、まずちょっと、この部分。

文脈のズレで笑わせるわけだから、観る側が、

その文脈を共有してることが必須なわけですね。これで笑いが生じる為には。目からウロコ。

つまり、ものすごいドメスティックな笑いなわけです。

文脈の共有がされてるコミュニティでないと生じないわけですから。

すなわち、これは無声映画的では全くないわけです。

あのね、今回色んな物が出てきます。ちんこ押すと、物が出てくる。ね?

お箸とか。寿司とか。盆栽とか。漫画とか出てくるわけですね。

で、これがまあ穿った見方をすれば、外国人受けというか、

外国人でもわかる笑いを狙ったのかもしれませんが、

例えばね。寿司が沢山出てくんのに醤油がないっていうギャグのとこありますよね?

で、後から変なタイミングで醤油が、何でやーみたいな。

あれだってさあ、寿司の食い方というものが、

当然の、絶対的な常識として共有されてることが前提なわけで。

そこまで、寿司は有名かもしんないけど、

そこまで絶対の常識って確信できなければ笑いになんないですからそれ。

つまり、これはやっぱり日本人向けな笑いですよね。早稲田卒らしい物の見方だなー。

とかさぁ、あと細かい話ですけどー、漫画の5巻までが出てきて

次7巻から先しか出してくんなくて、6巻はあああ!みたいなこと言いますよね?

これさ、一見数字でわかるから、これ世界的にわかるやろって

これ思うかもしんないけど、漫画って必ずしも

世界共通の形式で読まれてたり出されてたりするわけじゃないですから。

ああいう例えば1巻から20巻まで続いてるロングストーリー的な形式ってすごく日本的なんですよ。

例えば、アメリカだったら一冊完結なわけですよね。アメコミだったら。そうなんだー。

だから、ここ6巻が抜けてて気持ち悪いよねー!って、

世界共通の認識じゃないかもしんないんですよそれは。

っていうね、だからセリフが少なくて、物で表現してますよって言っても、

その物自体。その物の扱い自体が、その国の文脈を背負っている。

そしてその、つまり日本特有の文脈をこそ笑いに転化させる天才である松本さん。

ていうのは、そもそも海外輸出向けじゃないんですよ!言い切っちゃったw

で、セリフが少なくなきゃ無声映画的でしょっていうのがまず、

あんた何にもわかってないなっていうことになっちゃうわけ。

サイレント映画ナメんなよ!っていうことになっちゃうと思うんですよね~。キレたw

で、その国特有の文脈を抱えてるってことで言えば、おならとかさ。

あとはそれこそ天使とかさ。チンコとかさ。文脈変わってくるわけよそんなの。

あとは神ですね?だから安易に神とかやって平然と出してる時点で、

海外輸入どうなんだ?っていうね。あとその、海外という視点に関して言えばね、

これ蛇足になっちゃうかもしれませんが、松本さんのお笑いに対するプライド。

すごくドメスティックな笑いを追求、資質の人だからこその

プライドなのかもしれませんが、要は外人にわからせる為にはこうやろ的な、

ある種の見くびりですよ。でも実際のところは単なる思い込み。絶対外人のことナメてるからねw

故に、あんまよくないっていうか、寿司とか出しとけば的なさ、

以前、電波少年で外人向けコメディを作ろう!みたいなのやってたじゃないすか。サスケね。

そんときからあまり学んでないなぁっていう感じがしちゃってね。

なので、そういう見くびりが全体的な質を落としてしまってる結果に

なってしまってるんじゃないかと思います。そんなこと気にしないで追求すればいいのにね。

全然、今までやってきたこと面白いのにさ。それだけに悲しい。

で、じゃあね、どっちかって言うと本当に無声映画的な見せ方をしている部分。

その、パズル的な脱出劇のとこね。まあ、ここが面白けりゃまだいんですけど。

まあ、いいです。ここはね、この映画の唯一楽しめる部分ではあるんですよ。

僕あの吸引棒?のとことかすごい笑いましたしね。

そこはでも、セリフの笑いなんだけどね。「あ、これはあっちにつけといてええんや…」

みたいな、なんか松ちゃんらしい、ね。なんか言い方の笑いだしさ。

まあそれはそれでいいんです。面白かったんです。

たださ、例えば色々苦労して苦心惨憺してドアの前まで辿り着きました。ね?

で、脱出劇なわけですから。なんかタイムリミット的なものも用意されてるんですよ。

ところがそこで、そのパジャマ男は、ドアの前まで辿り着いた瞬間に、

いちいちカメラのほう向いて「やったー!」的なポーズ見せたりするじゃないですか。

普通にこれリアルな脱出劇だったら、「いやいや早く!早く!」って思うじゃないすか。

早く行けよ!と。なのに、過剰にコメディ的な振舞いをいちいちやるんですよ。しかも全然おもんない。

だから観てる側はこの脱出劇をどこまで真剣なものとして

観ていいのかわかんないんですよ。なんかドシャーン!とかなって

なに?この人は潰されたら死ぬの?死なないの?とかさ。

なんか食べ物食べてるけどウンコはどうしてんの?とかさ。

なんか真剣にハラハラしなくなってくるわけ段々。で、よせばいいのにそれこそさ、おならプーで。ね?

おならがプーとかけられましたって時に、ほんとこれは理解に苦しむほど

よせばいいのになんだけど、いちいち説明的なおどけセリフを入れるわけ。

「くさいんですけどー!」とか言うんですよ。いや確かに、ここ酷いよ。

その言い方で笑わせるのは非常に松本さん的ではあるんだけど、

だったら、おならプーでくさいんですけどはレベル的にはどうなの?w いや、1以下でしょ。

やっぱりね、松本さんはね、言葉の人であることから離れらんないんですよ。それだ!

やっぱり、意味の人なんですよ。でね、くさいんですけどーとかつけちゃうのも、

わかってんのかしんないけど、映画はテレビと違って、

観客はイスに座ってそのスクリーンだけを集中して眺めてるんですから、

テレビの観客よりも、ずうっと考えてるわけですよ。観てることを。うんうん。

理解してるし、その理解力も遥かに、先いっちゃってるわけです。

だから、いちいちそのわかってることを説明される。これ、テレビなら必要なのかもしれませんけど。

いちいちわかってることを説明されるとね、イラッ!とするし興醒めするんですよね。仰る通り。

で、そのパズル的な脱出方って言うのもね、それ自体はいいんだけど、

恐らく多くの観てる人がね、観ながらなに?それテープあるんだったらもうちょっとはやく使えよ!とかさ、

もっとはやくそれをやれよとか、そんなんじゃなくてもっとこういう手があるだろ

さっきのそれとかさ!みたいな、少なくとも先回りして

観客がこう思うであろうこととは同時に進んでくれなくて、大体、後なんですよね。

なんだよそれあったのかよみたいな。だからすごくイライラすんじゃないかなと思うんです。

パジャマ男の行動が観客の先を全然いってくれない。

故に退屈だしイライラしちゃうっていうね。まあいいや。これは完全に故意だと思うけどね。

パジャマ男の脱出劇とメキシコの話がリンクしました。

じゃあそっから先どうなるかっていうと、ま映画が急速的に、

イメージとしての、宗教的な色合いを増してくんですよね。

でまあ、ここまでくると様々な深読みが可能な作りにはなってますよ?

まあでも要するにさあ。こういうことでしょ。大体2つでしょ。

世界を司ってる原理は、意外とマヌケかもよーと。日頃から面白おかしく言ってたしね。

でもね、世界を司ってる原理の元の元まで見せてくれないとこで終わっちゃうから、

なんかこのテーマはちょっと中途半端に終わってると思いますね。

あと、もう1こは、こっちが本音かも。

表現者たる俺、松本の生みと苦しみと悟り、っていうね。わかんねえけど。すげえ洞察力だな…。

でもね、いいんです。その辺は松本さんの考えをよく理解されてる、

松本さんのファンの方々が僕なんかよりより正しく読み取って頂けると思うんでね。

そこはいいんですけど。でもね、ひとつ確かなのは、

この終盤の展開。まあ確かに、なんか変わった展開なんだけど、

そのシークエンスがね、画的に非常にショボイんです。

だから、画的な驚きがないんですね。これは、致命的です。

例えばね、松本さんがガー上がっていくときに、

所謂歴史的ニュース映像みたいなのが次々に挿入されてくんですけど、

そこの並べ方の薄さ?が、イコール作り手の歴史的認識の薄さ?学のない俺でも薄いと感じたw

みたいな感じがしちゃって、だからこれ言ってみれば、

20世紀の総括って言ってるけどそれは昭和40年代の話だよね?

っていう感じのあの20世紀少年。っていう感じの浅薄さっていうか。

だからこの場面はつまり、意味なんか解釈出来ようが出来まいが関係ないんです。

観客を圧倒してしまうようなシーンだったら別にそれでいいんですよ。

皆さんこのシーンで2001年宇宙の旅みたいのを連想したって言いますよ。

別にあの映画、終盤の展開の解釈が出来なくたって、

なんかわかんねえけど感動した!と思えるわけですよね。

あるいはね、こういう様々なしんぼる?象徴の森羅万象様々な事物が

ウワーっと上から押し寄せてきて、それを主人公が文字通り踏み越えながら、

なにか高みを目指すという描写で言えば、

アニメーションですけど、マインドゲームのクライマックス。

あの場面をどう解釈するかなんか関係ないわけじゃないすか。

とにかく、そういうなんていうの?理屈がね、よくわかんないけど

なんか解釈が開かれたようなシーンにしたいんであれば、

その分、映像にパワーが・説得力が絶対に必要な場面なんですよ。なるほど。

なのに、すっごいショボイんですよそこの見せ方が。だからやっぱり最後に印象に残るのは作り手の、

表現力に追いつき切れてない肥大したエゴばかりっていう。

だから、まあハッキリ言ってダメはダメですよ。

でも、僕はやっぱり松本さんの次回作が作られるんであれば、

やっぱり同じようにそれなりの期待を持って、

これ僕毎回そうなんです。前作にしろ今作にしろ心底期待を持って行ってるんです。全く、同じ。

面白いもの、今回は見せてくれんじゃないかと思って行ってます。

それなりの期待を持って次回も行くでしょう間違いなく。そして同じように、あーだこーだ言うでしょう。

そうさせる程度にはやっぱり、さっき言った映画という箔が欲しいだけの、ねえ?

クソ野郎どもの作るものと比べれば、やっぱり5億倍好ましいものはあると。そりゃそうだけどね。

まあ願わくば次はもうちょっと身の丈にあった、題材とアプローチとあと、公開規模?

こんな実験映画、ミニシアターでいいよっていうね。

あとはやっぱオムニバスにしたほうがいいんじゃないですか?とかね。

でも、やっぱりみんなこうやって、語れるコストパフォーマンスでいうなら抜群ですよ。

でも、結局これこうやって手の平で踊らされているんやで?ってことであれば、www

あ、そうかもしれません。あ、それでいいですっていう。

その意味で、オススメです♪

それでいいです。最後ちょっと投げやりw

 

あーっ!疲れたw

とまあ、こんな感じでした。ここまで読んだお前は暇か!ということでね。

前半に師匠が、浜田とやり取りする不動産屋のって例に挙げてる、

ヴィジュアルバムの中の『システムキッチン』ってコント。

これはちょっと松本好きじゃなければ笑い的には伝わりにくいかもしれませんが

面白いことは間違いないんで貼っときます。観てみてください。

 

※アメブロでは1記事につき1動画までしか貼れないので、

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