自分と向き合う
最近たくさんのことに気づきます
たいがいのことは、私が原因だということに
ここでいう「こと」とは、心がしんどくなること
言いかえれば、悲しみとか怒りの感情のこと
「私」とは私の中に存在するフィルター(ものの見方)のこと
同じ事象に対して、何も感じない人もいれば
喜ぶ人、悲しむ人、人それぞれに反応が生じる
例えば、阪神大震災のような大地震を経験していると
小さな地震に対しても恐怖感が生じるだろうし、
小さな地震しか経験していなければ、「あぁまたか」で済ます人もいる
フィルターは、価値観だったり信念だったり
経験だったり教育によって、作り上げられているのだけれど、
たまたまちょっとその経験が普通でなかった
それによって、過剰に反応するフィルターがあり、
フィルターから生じる感情が別の感情を生み出す
一連の動きはパターン化され癖になっている
例えば、立場が上の人に何かを指示されたときに
攻撃的に身構えてしまう癖
書くのも苦しいが明らかにしてしまおう
(フィルター)人は理不尽に叱責してくるものだ
(事象)仕事上メールでの指示があった
(第一の感情)叱責されるかもしれないという恐怖
(第二の感情)自分を守るために相手を攻撃する怒り
(行動)依頼者に対して攻撃的な態度で応じてしまう
私の働く環境はきちんとした人がほとんどで、
理不尽、理屈に合わないことが通らない環境
したがって、仕事の指示内容に理不尽なことはほぼありえない
もしフィルターがなければ、単にメールで指示があっただけに過ぎない
なのに、神経質に反応する自分がいて、
「どうしてなのか?」と思っていたけれど
そういうことか
といったことたくさんが今年になって明るみに出る
感情の全ては私の中に起因する
もちろん世の中の大多数の人間が同じように感じる、
生じて当然の感情もあるけれど、
私だけが特に感じてしまう感情は、私のフィルターが原因だ
フィルターによってもちろん良いこともある
例えば感受性、情緒性の面では、他人の感情にシンパシーできるのは
フィルターがあればこそだろう
そういった良い面と、
先に書いたような悲しみや怒りの感情を生じてしまう側面
両方がある
まずは、私の中にあるフィルターを認識し受けとめること
まずはそこから