月と星
昨日の夜の帰り道、
ふと見上げるとまぁるい明るい月
いわゆる煌々と輝く
昨晩はあんまりに晴れていて
月が明るければ暗くなるはずの星たちなのに、
月に張り合うかのように、
ひんやりした冷たい光を放つ
モスクの尖塔の向こうで輝きを競う
月と星たちと
地上から眺めている、私
しばらく眺めていると
見ようによっては、
太陽に照らされているはずの星たちが、
月に照らされているかのようにも見える
不思議な時間
***
その日はどうしてか光ばかりが目に付いて、
月の光、星の輝き
街灯に、家々のともす灯
自然でない=人口なものの価値を、
どこか低くみてしまってたのに、
その日はものの本質に気づいてしまう
光は光
例えそれが人口のものでも、
それは自然の光、自然の花を手に入れたいと
熱望した人々が作り上げたもの
自然であろうが、人口であろうが、
光の意味に、光の価値に何ら変わりはない
むしろ逆で、自然の光や花を手に入れたくて、
それを作り上げた人間の執念と努力は
すばらしいものではないか?
暗がりで光がほしいと渇望した者、
生花の美しさを留めておきたい、
生花が手に入らないなら同じ美しさを表現しようとした者
自然の木でできた椅子、プラスティックでできた椅子、
すべて同じこと
ものの本質は、同じだ。
それが自然の恵みによるのか、
自然の恵みがないからこそ、
人間が自らの手で作ったかの違いだ。
歪んでしまったのは、
「作る」過程で目的を見失ったからではないか?
その光は、その花は、椅子は何のために作るのかを
忘れてしまったからでないか?
もしその目的が個人個人に落とし込めるなら、
そうはならなかっただろうに。
「作る」過程が大規模に組織化され、
「作る」目的は携わる人間にはわからない。
そうなれば、異質だ、危険だと思うことも、
見えなくなるだろう。
何のためにそれがあるのかがわからないのだから。
***
昨日の夜の帰り道に、どうしてそんなことが
頭をよぎったのかは全くわからない。
けれど、光は光に変わりないこと、
それは何かの気づき、発見なのかもしれない