こんばんは。
久々に友達と焼肉に行ったら腹を壊したリヴァです。
長いコロナ禍のせいで焼き加減の感覚も鈍っているのかもしれません笑
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先日、身近な人が亡くなった関係で急遽札幌に行ってきました。
私にとっては初めての経験でした。
事実を知ったのも札幌に行くのも突然知ったことだったので、
悲しいという抽象的な感情だけは分かるものの、
それ以上のことは自分でも何だかよく分かりませんでした。
その辺りの話は掘り下げないとして、
ここで問題となるのは、帰る日にバイトが入っていたということ。
すぐにバイト先に電話で事情を説明し、
羽田に*時に戻るので19時頃から入ることは可能ですと話したら、
19時~21時でシフトに入ることになりました。
札幌に行くこと自体は慣れているので、体力面では全く問題ないのですが、
問題は、私のメンタル面が未知数、ということでした。
そして帰りの日。
空港からのバスが渋滞に巻き込まれて遅延したものの、
19時はそれを見越して余裕を持って提示した時刻であったため、
当初の予定通り19時に出勤したのでした。
そしたらちょうど店長がやってきて、心配そうな顔で「大丈夫?」と聞かれたので
私は反射的に「大丈夫です」と答えたのですが、
その「大丈夫です」という言葉を放った瞬間、
今まであまり気になっていなかった疲れとか感情が突如堪えきれなくなったのです。
幸い私が最初に任されたのは裏方で一人での作業だったのですが
その間、それはもうひどい状態だったと思います (笑)
もちろん、心配してもらえること自体はとても嬉しいし有りがたいのですが、
それと同時に
こちらは変に気を遣わせたり心配させるのが嫌だと思い、いつも通りにしたつもりだったのに
結局心配させてしまったことがしんどかったですし、
その後も他の人との会話が変に冷たい感じの対応になってしまい、
そのせいでもし相手を不快な思いにさせていたら申し訳ないと思うと、
その感情も上から押しかかってきて、
帰る頃にはかつてないほどヘトヘトになっていたのでした。
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「大丈夫」という言葉について、一つ思い出したことがあります。
小学校だか中学校だか忘れましたが、朝礼の時間に一人の先生が全校生徒の前でスピーチをする時間がありました。
ある日、保健室の先生が担当の回があり、「大丈夫」という言葉がテーマのお話でした。
話の趣旨としては、
「大丈夫?」という言葉を人に対して安易に掛けてはならない、ということだったと思います。
人から「大丈夫?」と聞かれたとき、大抵の人は「大丈夫」と答えます。
よほどのことがない限り「大丈夫じゃない」とは言わないと思います。
しかし、保健室に怪我や体調不良でやってくる人は、
あくまでも「大丈夫」ではないから保健室に来たのであって、
「大丈夫?(疑問)」→「大丈夫(肯定)」という会話で終わってしまっては何の意味もないわけです。
当時はその程度の理解でした。
小学校か中学校の全校集会ですから、たいていはまともに聞いていないのですが、
この話は言われてみればそうだなと思ったので、
何となく印象に残っていたのです。
しかしこの「大丈夫?」という質問、
上の理屈で行くと、「大丈夫」という返答を実質強要していることになるのです。
だから、本当に「大丈夫」だった時に限って気遣いの言葉として成立するのですが、
実は「大丈夫」ではなかった時、
少々無責任、場合によっては残酷な言葉に様変わりしてしまうのです。
でも、自分が逆の立場だったとしたら「大丈夫?」と言ってしまいそうですし、
仮にこれが間違いだったとして、
何が正解なのか、よく分からないですよね。
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こういう話になると、
周りの人がどう対応するのが相応しいか、という視点になりがちですが、
私はむしろ、自分で自身や周りの負担を軽減するように事前に対処するべきだったと感じています。
だって、こういう時の受け取り方って人によって全然違いますし、
周りが当事者の求めている通りの完璧な行動をするって、不可能じゃないですか。
これはよく言われる話ですが、
心から疲れている時って、回復した後に「あの時は疲れていたな」と感じるのですが、
その最中は意外と気づきにくいんですよね。
だからこそ、
自分は大丈夫だとか、
周りに迷惑や心配を掛けたくないだとかじゃなくて、
常識的に必要な休みはちゃんと取る、これが重要なんですね。
周りの人との関係や気遣いだけでなく、
自分自身の身体や心とも、上手く付き合えるようになることが、
社会で生きるために必要だと実感したのでした。