伝え方と、伝わり方。-サクライブ2021と震災遺構を見て感じたことー | ドリームハウス南蘭得 - 秩父とダムと鉄道と。

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また、1~2か月に1回程度「秩父紀行」を投稿します(予定)。

※記事中で震災遺構を撮影した写真を1枚使用しています。ご了承ください。

 
昨日(2021/4/3)は、
有安杏果さんの「サクライブ弾き語りツアー2021」の仙台公演を見に行きました。
 
せっかく東北にお邪魔するので、現地のことを学んでから帰りたいと思い、
 
ちょうど今年は震災から10年の節目の年ですし、
私自身も土木系を学んでいる者として、自分の目で被災地 (被災地って言葉、後ろ向きな感じでなんか嫌ですよね。個人的には復興途上地とかの方が良い気がします。) を見てみたいと思ったので、
 
三陸エリアの震災遺構など復興関係の施設を巡ってから帰ることにしました。
 
震災遺構は当時の状態が本当にそのまま残されていて、
ブログの素材として写真をペタペタと貼るのはあまり良くないとも思ってしまったのですが、
1枚だけここに記しておきたいものを載せておきます。
 
これ、学校の校舎の「3階」です。
津波に飲み込まれ、泥だらけ傷だらけになった車が、
ここに流れ込んだまま残されています。
 
よく東日本大震災の津波の怖さを伝える方法として、
”十何メートルの津波”
などという表現が使われています。
数年前には、津波の高さを示す広告が渋谷に出て話題になったりもしましたね。
 
そういった高さを示す表現を聞けば、めっちゃ高いんだなぁとか、実際に来たら怖いなぁとか、
誰しもぼんやりとした恐怖心を抱くはずです。
 
でも、それが
「十何メートルの高さの津波」
という言い方ではなく、
 
「学校の3階に自動車がなだれ込んでくる勢いの津波」
だと言われたら、
どう感じるでしょうか。
 
少なくとも私は感じ方がだいぶ違うなと思いました。
 
「高さ」も必要な情報ですが、「勢い」の情報があるか無いかでは、
インパクトというものが全く違ってきます。
 
 
伝え方による感じ方、受け取り方の違いは、
今回のサクライブ2021でも強く感じたことでした。
 
今回のライブは「弾き語りツアー」と題し、バンドメンバーなしの完全ソロライブ。
今までのライブでもソロで弾き語りをする場面はあったものの、
弾き語りが合うような落ち着いた曲のみの演出だったので、
すべてギターorピアノで弾き語りをするのは今回が初めてでした。
 
バンドによるライブでは、
一体感や重みのある迫力のある演奏に歌声、そしてダンスなどのパフォーマンスが重なり、
全部が引き立てあって一つの曲という作品が完成していました。
 
一方で引き語りだと、
歌声が「主役」という役割がはっきりしているな、と私は感じました。
有安杏果さんの歌声や歌詞の本来の良さがより活かされて、
一つ一つがしっかりと伝わってきた感じがしました。
 
もちろんどっちが良いとか悪いとか思ったわけではなく、
弾き語りを聞いてからバンド演奏も聞きたいと思ったし、
その一方で弾き語りだけのライブもまた聞いてみたいとも思ったのでした。
 
同じ歌詞でも、乗せるメロディが違えば、感じ方がこんなに違う。
歌詞に限らず、同じ事実でも、
伝え方が違えば、ライブで感じたときと同じくらい、
受け取り方は全く違うのでしょうね。
 
 
東日本大震災の際、
大津波警報が発令されたときに直ぐに逃げなかった人の理由として、
最も多かったのは「過去の津波で大丈夫だったから」だそうです。
 
過去の教訓を活かすことは大事ですが、
 
「被害に合ったから危ない」
ではなく
「被害に合わなかったから大丈夫」
という逆の発想が、結果的に悲劇を招くのは恐ろしいことです。
 
さらに、それがただの伝言ゲームになってしまった場合も、
同じようにせっかくの教訓を逆効果にしてしまうかもしれません。
 
これだけ長々と綴っておいて結論は当たり前のことなのですが、
ものごとを色んな視点から見つめ直して、比較してみたり、
本当に伝えるべきことや伝える方法は何かを考えたりすることは、
すごく大切なことだと、改めて気づかされました。
 
…でも、当たり前と書きましたが、
言われれば当たり前のようなことでも、普段の日常を振り返ってみると、
意外と忘れていたり出来ていなかったりするんですよね。
 
まあ、何回忘れてもその度に胸に刻み直すことが大事なんでしょうけどね笑
 
なので、備忘録としてここに書き残しておきました。
 
 
長くなりましたが、今回はこの辺で。
今日もご覧いただきありがとうございます。