「心を開く」ということ | ドリームハウス南蘭得 - 秩父とダムと鉄道と。

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先日部屋の整理をしていたら、高校時代に英語の授業で「インビクタス/負けざる者たち」という映画を見た感想文が発掘されました。成績には一切影響しないような課題だったのですが、その割には、当時の自分の割にはまともな意見を持って書いていたんだな、とちょっとだけ感心してしまいました。映画の内容もなかなかいい話だったので、ここでも紹介しておこうと思います。
映画を知らない方もいるかと思いますので、うろ覚えのあらすじも交えた上お話します。


この映画の舞台になった1990年代の南アフリカでは、アパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策が行われており、特に黒人に対して差別をし白人が優位になるような政策がとられていました。この映画の主役であるネルソン・マンデラもそんな黒人の一人で、彼は反アパルトヘイト運動を起こして国家反逆罪で獄中生活を強いられることになります。
約30年後、彼は釈放され南アフリカ初の黒人大統領になります(この過程は私はよくわからないので興味のある方は調べてください。というか知っていたら教えてほしいです笑)。この時点でも白人と黒人の対立は残っており、白人官僚たちはマンデラからの報復を恐れて自ら立ち去ろうとしますが、マンデラの方から心を開いて協力を求め、官僚たちやボディーガードは白人と黒人が一緒に働くことになります。初めはピリピリするシーンもありましたが、一緒に働くうちに徐々にお互いを信頼していくようになります。

その一方でマンデラは、当時アパルトヘイトの象徴とも言われていたラグビーの南アフリカ代表チーム「スプリングボクス」を、黒人と白人の和解のきっかけにしようと考えます。当時の「スプリングボクス」は黒人選手が1人のみで他は全員白人選手であったので黒人の間では特に不人気で、試合のときに黒人サポーターは相手チームを応援するほどでした。その後、マンデラや選手たちの努力により南アフリカ人の間で「スプリングボクス」が注目されるようになっていき、ラグビーのワールドカップで予想外の快進撃をみせると、黒人と白人のサポーターが徐々に一体となって応援するようになっていきます。


私がこの映画を観て最も印象に残ったのは、白人の選手たちが黒人の子供たちにラグビーを教えるシーンです。マンデラの意向で「スプリングボクス」の選手たちが貧しい地域に住む黒人の子供たちにラグビーを教えに行くことになったのですが、白人選手たちは当然ラグビー教室には消極的でした。なので子供たちが歓迎ムードで黒人選手のもとに集まって来たとき、私は白人選手たちの雰囲気が悪くなるのではないかと思っていました。
しかし、そんな子供たちの様子を見た白人選手たちは、彼らを暖かい目で見守っていて、それだけでなくお互いすぐに打ち解け合い、楽しそうにプレーをしていたのがとても印象的でした。対立関係にある人種であっても、お互いが一緒になって何かをするということは、お互いの理解を深め合うための最良の手段であると思いました。それはラグビーをプレーする者に限らず、大統領のボディーガードや、ラグビーを応援する人々の様子からも感じられたし、きっと身近な人間関係にも言えるような気がする。

 

ちょうど今(この感想文を書いた当時=2018年2月頃)北朝鮮が、この映画と同じように、冬季スポーツをきっかけに南北関係の改善を図ろうとしています。テレビやYahoo!ニュースを見ていると、北朝鮮が悪人で、日本やアメリカがそれを取り締まる、という構図になっているけど、果たしてそれが正しいだろうか、といつも疑問に思ってしまいます。
「外交」なんてしょせん国のトップ同士の人間関係であり、それ以上でも以下でもない。だから普通の人間関係と同じように、双方の意志がなければ成立せず、どちらか片方でも拒否すれば絶対に関係は成立しない。そこで今の構図を見てみると、北朝鮮側もアメリカ側も双方が和解に消極的(当時)。こんなんじゃ和解できるわけがない。

今回のこの映画では、初めは黒人、白人双方が対立していたのにも関わらず、マンデラは敵であるはずの白人に自ら心を開き、周囲にも相互理解を求めていた。同じように、まずは日本やアメリカ側から心を開かなければ何も始まらない。日本は「圧力」ばかり連呼していたけれど、仮に圧力を加えた結果として北の軍事力を縮小出来たとして、それが何になるのだろうか。少なくとも「ミサイルやめたから、お前とも貿易してやろう」と言われた北側は気分がいいわけがない。仲良くしたいのなら、まずは自分から心を開くべきだと、この映画を通じて強く感じました。

 

これを書いた当時は、金正恩委員長とトランプ大統領が激しい口喧嘩をしていた頃かと思います。その後一時は和解ムードを演出していましたが、今では再び交渉が難航し先が見えない状態になっています。「外交はしょせん国のトップ同士の人間関係」なんて簡単に書いてしまいましたが、実際そんなに簡単な問題ではないことくらいは分かっています。でも国のトップ同士が仲良くしない以上は絶対の国同士の関係も上手くいかないというのも事実ですから、両者がお互いを理解できるような日が来るといいですね。

さて、「心を開く」ということがこの映画の重要なポイントでしたが、それは自分の意見を相手に合わせればいいというわけではありません。心を開くとは具体的にどういうことか?という問いに対して、以前見かけたこんな意見がその答えであると思います。それは飛行機で車椅子の客が搭乗拒否されたという事件に対する、車椅子利用者のコメント(Yahoo!ニュースのコメントかTwitterか何かだったと思います)で、要約すると「体に障がいを持った人とそれ以外の人が同じように扱われるのは無理だし、むしろそうする必要はない。どうすればお互いが気持ちよく過ごせるかを考えるほうが大事」という内容。
世の中にはたくさんの人がいるわけだし、皆が全く同じ考え方を持っていたら気持ち悪い。違う意見、考え方、表現方法を持っていて当たり前だし、外見の違いとか、体や知的な障がいとかもそう。だからこそ他者の考え方を全面的に否定したり、逆に自分の意見を捨てて無理に周りに合わせたりするのではなく、マンデラのように自分から心を開いて、自分とはどう違うのかを理解し、そして「どうしたらお互いが気持ちよく過ごせるのか」を考えるべきなんですね。感情を自由に持って自由に表現することが出来る人間は、そういうことが出来る存在であるべきだし、自分もそうならなけらばならないな、と改めて思いました。