高校を卒業しました。してしまいました。
中学から通っていた学校なので、6年間も通ったことになりますが、時の流れというものは本当に早いです。というよくある定型文しか表現が思い浮かびませんが、本当に早いものです。卒業という言葉が、未だに他人事のような気もします。
素敵な友達や先生方に恵まれたことは、記録よりも記憶に残しておきたいので、ここでは思い出話は綴らないことにして…、
卒業式に関連して、私にはもう一つ印象に残っていることがあります。
卒業式の予行の日の放課後、クラスにカバンを取りに戻ったときのことです。教室に入ろうとしたら、教卓で一人の女子と担任が、何やら深刻そうな表情で話をしていました。その時ちょっとだけ耳に入ってしまった話によると、どうやら志望の大学に行くことが出来ず、そのことを担任に打ち明けていたようなのです。
でも彼女は、あんな素振りはさっきまでは一切見せていませんでした。むしろ、いつもと変わらずクラスを盛り上げる中心的な存在だった。そして次の日…つまり卒業式当日も、いつもようにクラスの中心となって、クラス会も仕切っていたし、クラス会中はクラスの誰よりも楽しそうにしていた。
悲しみは心の隅に置いて純粋に楽しんでいるのか、それとも、悲しみに耐えて無理に笑っている、笑って悲しみを誤魔化しているのか…。何だか色々な考えが頭をよぎってしまいます。
私は苦しいことはしばらく引きずるタイプなので、嫌なことをパッと忘れて思い切り楽しむ…ということは、少なくとも私には出来ません。
人なら誰しも、忘れられない悲しみというものが、1つくらいはあるはずです。私にもあります。ちょうど今から2年前くらいだったでしょうか。もちろん中身は言いたくないですが、その後1年くらいはそのことばかり考えていた思います。
今でも思い出すと苦しいし、一度思い出すとついさっきの出来事のように鮮明に蘇ってきますが、思い出すと、なので、余計なきっかけがない限りは封印できるようになりました。
そんなとき、学年主任の先生が最後に残したメッセージが目に留まりました。
それは、順調な時は人は後ろを振り返る必要は無く、人生で行き詰まったときだけ後ろを振り返って見直せばいい、というもの。
きっと彼女は、行き詰まったから後ろを見ていただけ。楽しいクラス会の時は、後ろを見る理由なんてどこにもありません。学年主任が教える人間像というものは、まさに彼女の姿そのものではないでしょうか。
それに比べて私はどうでしょう。不必要に後ろばかり見ている。
過去を振り返るのは大切なことでもあるけれど、後ろばかり見ていては何を進まない。というかむしろ、振り返る必要があるのは行き詰まったときだけ。それ以外は、ずっと前だけを向いて生きていればいい。学年主任の最後のメッセージと彼女の姿を見て、そういう人間にならなければならないと、強く感じました。やっぱ人間は、前を見ていないと生きていけないよね。