昨日は友達が会いに来てくれました。


みんなそれぞれ子どもがいて


中には坊ちゃんと同じ歳の子もいます。


みんな子どもは連れてこなかったけれど


やっぱり母親が集まれば


話題は子どもの成長について、


近況報告や最近あったエピソード。


習い事について、


あと旦那の愚痴。










子どもの話や悩みは聞きたくないってなるのかなと


自分で構えてたけど


私は意外に普通に話が聞けます。


なんなら自分からいろいろ聞きます。


妬みなんかはなく、


単純に、いいなぁとは思うけど。


みんなの子どもは坊ちゃんじゃないしね。


私が一緒にいたかったのは、


成長を近くで見たかったのは坊ちゃんやから。


またそれとこれとは別の話、として聞けます。










今時間が戻せたとして


お腹にいるときに


この子は寿命が3年半ですよ、


今なら大きな病気にならない子と交換ができますよ、


と言われても絶対に交換なんてしないしね。


そんなことを考えてると


あの子はあの子の寿命を


本当に純粋に楽しんで懸命に生き抜いた、と思えて


なんとなく


こうなったことを受け入れられる気がするような


しないような。


やっぱりいてほしかったし


あれだけ痛い辛い思いして治療頑張ったから


もっともっとその何倍も


幸せを感じられる時間を与えてあげたかったから


完全に受け入れる、は


やっぱできないけど。










うーん。


ちょうど1年前の元気にしてる写真を見ると


この時に病気に気付いてれば


転移もなく手術でキレイにとれてたんかなぁとか。


こんなこと考えてる時点で


寿命云々も受け入れてないよね。


真顔










自分で自分の精神状態がよくわかりません。


なんか周りに心配されてるほどじゃない気がするし。


もっと悲しむべきなんじゃないかなとか


普通に人と会って笑ったりとかしてる自分を冷静にみて


私は母親としておかしいんじゃないかとも思う。


かと思えば


坊ちゃんの話をし始めると涙がボロボロ出てきて


私はただ悲劇のヒロインになってるんじゃないかと思って


自分が嫌になったり。











自分がどうゆう感情なのかわからんけど


ただただ


日を追うごとに会いたくて会いたくて仕方ない気持ちが大きくなってるのはよくわかる。


ある方のブログを読んでて、いいなと思った、


“1日1日確実に会える日に近づいてる”ってゆうことを


毎日思い出して


いつの日か会えると信じて


毎日過ぎるのを今はただ待つ。







 

ああ


なんてまとまりのない!


なんせ文章力、表現力が乏しすぎて


思ったことそのまま書いたらこうなった。


自分用やしいいや。


目