あゝ筆不精。

気づけば二月も半ば。

2011年初更新である。


早々フェードアウト感が出始めていたが、イヤイヤ、気長にゆる~く続けるのさ。




さて。毛皮のマリーズ。

number13のブログ


大好きさ!


ここ10年間ほど、ほぼ邦楽は聴いていなかったワタシ。

昨年彼らにであった事で、今更ながら日本のバンドを聴き漁っております。

中でもマリーズ!極上!


何が良いって音源が出る度に変化するその曲調。


あいつも変わっちまった…なんてスネるファンもいるらしいが、アーティストは変化せんと続けられないんです。

これでよい。


インディーズ時代初期のパンクロック。

Groomyでのネガティブ志向アンドビートルズへの傾倒。

メジャーデビューしボップミュージック化。


そして今回、メジャー第二弾「ティン・パン・アレイ」では、フレンチのようであり、日本歌謡のようでもある、美しいオールディーズを生み出した彼ら。


彼らっつーか志摩。



まあ、生み出したというより昔聴いたイメージを昇華して吐き出してるって方が正しいんだろうけど。



彼らの音源は新しいわけじゃない。

だから、とてもとても懐かしい。



時に泣きそうになる。



1. 序曲(冬の朝)と8. 星の王子さま(バイオリンのための)は超名曲。





謳い文句は”21世紀版マッチ売りの少女”。

うむ。

不幸な日々を繰り返しながらも希望を捨てずに明るく生きる少女が、最後は幸せな死を迎える、という大筋を考えると、まあマッチ売りの少女的ではある。

しかしだ。

少女の哀れさ、世の悲しみをテーマに語り継がれるマッチ売りの少女に対して、この小説に描かれる少女シオリの物語は、悲哀を感じさせるものではない。


まず、リアルマッチ売り少女の抱える不幸はダメ親父をはじめとした他者に起因する”避けがたいもの”だったのに対し、シオリの周りの不幸はシオリ自身の頭の悪さ、バカ正直さが招いたものであり、読者はこの主人公に対して常にイライラさせ続けられる。

著者は明らかに狙ってやっている。

「ダメな女だろ?イライラするでしょ?」といってほくそ笑んでいる姿が容易に想像できる。

なんて性格が悪いんだろう。


さらに、話の展開は必然性がなさすぎて混乱させられる。

序盤から中盤にかけては、妹のいびり、恋人の裏切り、友人からのいじめ、父親の破産、といったありがちな不幸が並べられ、物語の別軸として、吟遊詩人を志すが、歌の才がないシオリの夢への葛藤が描かれる。

まあ、この辺まではいい。

しかし終盤にさしかかり、シオリは突如スーツケース型核爆弾を預かってしまう。

そしてシオリは爆発から東京を救うために、地下鉄構内のトンネルに潜り、スーツケースと語り合いながら散るのであった。

なんなんですか?



「グランド・フィナーレ」以降の阿部和重の作品を読むと、いつもスッキリしない後読感を与えられてしまう。

この人なんでこんな話書いてるんだろう?と、いくら考えても腑に落ちない。

にもかかわらずまた読んでしまうんだなー。

「インディビジュアル・プロジェクション」が素晴らしすぎたので期待感が捨てきれないのだが。


相変わらず叙情的な表現を排したクールな文体はカッコイイけど、そろそろ純粋に面白い作品も読みたいものだ。


number13のブログ


小説家にしろ音楽家にしろ、デビュー作というのは彼らを一般人から作家へ変革させる、重要なものだ。

そこには彼らの、作家としてではない最後の表現が綴られている。

だからこそ処女作が最高作と言われる作家が世に多く存在するのだろう。

僕は面白い作品に出会うと、次に著者のデビュー作を読むようにしている。そうするとその作家の、技術とセンスの両方を感じる事ができるからだ。


本著は後に直木賞を授賞する著者のデビュー作だ。24歳という若さにして、その才能が存分に発揮されている。

物語は就職活動中の女子大生の一人称で語られる。書道家の老人との恋、世離れした家庭環境、フツウの大学生活を交えながら、彼女の就職活動をプロットしていく。

個性的なキャラクターと軽妙な語り口は、著者のただならぬユーモアセンスを感じさせる。

物語中で最も盛り上がりを見せる、主人公の家での家族会議のばで大叔父が漏らす、「謀ったな、若造め」というセリフには、不覚にも電車内でニヤニヤしてしまった。


しかしなぜ就職活動を舞台にしているのか、どうしても解せないところがあった。その必然性が感じられない。

その一つの解答を重松清氏による解説が与えてくれた。

重松氏によれば、本著は著者が後の作品で描いていく「孤独」のありかを示しているらしい。

僕は著者の作品は直木賞授賞作「まほろ駅前多田便利軒」しか読んでいないので、彼女が何を核として作品を世に出しているのかは分からない。

確かに就職活動ほど一人一人が平等に孤独な場所はない。しかし、時に激しく、概ねまったりと就活戦線を闘う主人公の周りには、「孤独」とはかけ離れた愛に満ちている。

僕はこの作品は「愛」の物語であると思う。中国に旅立つ西園寺老人との別れの場面は、映画のワンシーンのように美しい。