だが、、身体障害者になってしまった今、全く責任を果たせる気がしない。

日々の家事や楽しく過ごしている姿が想像できない。

 

人生が狂った。周りがほとんど所帯を持っている今、

心の支えはホリエモンかエガちゃんくらいだ。(彼らは結婚をしない)

 

今思い返せば、私に好意を持ってくれる方もいて何度か機会はあった。だが逃し続けてしまった。

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子供時代を振り返る。

 

私は子供の頃は、気が弱く、だがしかし見栄っ張りで、今考えても恥ずかしい性格だったように思う。

 

経験に嘘を貼り、自分を誤魔化してきた。

したこともないことをしたように装い、行ったことのない場所にも言ったように語り、

周りから劣っているように見えないように、なぜだか繕ってきた。

 

特段に劣っていることなどないのにも関わらずだ。

 

周りから劣っていると思い込み続けた結果、

だんだんと精神を病み、生きていくことが苦痛な時期もあった。

 

口を開ば他人を不快にするような言葉しか出てこず、それならば話さなければ良いのだと思い、人と話すのを避けるようになった。

 

根本には、例えようもない劣等感と自信のなさがあった。

 

 

果たしてこれはどの様にして育まれたのだろうか?

幼い頃の記憶としてはこのような居心地の悪さは記憶にない。

 

高校生のあたりから何かが狂い始めた。

 

一つ目に父親との関係にある、

 

私の父親は少しおかしなところがあった。

 

なんというかかなりずれているのだ。

 

子供が父親に求めるのは自分の規範となって道標となる存在だが、私の父はそのような役割を全く果たさなかった。

 

何か聞けば適当な答えが返ってきて、また逆に何か教わると果たしてほとんどが間違っていた。

 

その経験から私は子供ながらに父を信じてはいけないのだと思った。そして父を指針とするのをやめた。

 

子供は父親が好きでしょうがないものだが、そんな父に裏切られたように感じ、なんとも言えない寂しさがあった。

 

私は幼少時に父から褒められた記憶がない。

また、何か父との間に距離があり、変な人間関係があった。

 

父の性格なのだろうか、人と話す時に内面を発露するのに気をつかっている様子だった。

いわゆるモジモジ、優柔不断、自分を解放することに遠慮をする様子だった。

 

それを身近に感じ

私はいつもイライラしていた。

なんなんだよ?言いたいならはっきりと言え!

といつも思っていた。

 

また何かに挑戦をしなければならぬ時に励まされた記憶もない。

また過干渉であったり、無関心であったり、極端な性格をしていた。

 

さらに彼は自分に注目が集まっていないとまた大事にされていないと寂しいらしく、

 

思春期真っ只中の十代の私に

 

「自分の老後の面倒を見てくれるか、下の世話ができるか」

 

などと確認してきたこともあった。

十代の子供に対してだ。

 

「知らねーよ!なんでオヤジのケツなんて拭かなきゃならねーんだよ!」

と言った記憶がある。

 

当時の私は父親が大嫌いであったが、彼はその雰囲気すらも感じ取れなかったようだった。

 

私は父と接するたびに非常に居心地の悪い不愉快な感情に囚われ、自分の力が消滅していくように感じていた。

 

当時、私は家庭の中で自分に対する自信を育むことができなかった。

 

そんな父親は母親との関係もうまくいかず、不倫をした挙句離婚した。

本人曰く、家族が相手をしてくれなくて寂しいからだそうだ。

彼は自分の態度がそうさせたとは全く思っていない。

 

なので、今現在に至っても彼は積極的に私たちと関係を保とうとアプローチをしてくる。

父は当時の不倫相手と未だ関係が続いているようだがそれでも母親の様子を私に伺ってくる。

 

 

無理だ。人間はしていただいた分お返しをするようにできている。

 

子供は親にしてもらった分、親孝行をするようにできている。

無理なんだ。

過去は戻ってこない。

 

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現在、

私の劣等感はほとんど消え去っている。

良いのか悪いのかわからぬが、病気を患い、入院を繰り返したり、身体障害者になったりしたことで

周りとの差を気にするということがバカらしくなり、全く無に帰したようだ。

 

また障害者の職業訓練校で身につけた技術によって安定した仕事も得ることができている。

 

これから私の人生がどのように転がるかはわからぬが、なんにしても生きなければならない。

 

障害によって自信を取り戻し、障害によって仕事も得られ

障害が良いものなのか悪いものかよくわからぬが、

 

欲を言えば障害がなくなって欲しい。

普通に歩けるようになりたい。