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1928年に導入されたイーストマン・コダックのパン・クロマティック・ネガフィルムである Type 1, Type 2 は、ASA(ISO)感度で 20 〜25 であったと言われる。1935年、つまりプレコード時代の終わりには Super X が発売され ASA 40で、つまり撮影に必要な光の量は約半分になった。1938年には、Plus X が ASA 80, Super XX が ASA 160 であった。高感度のフィルムであるSuper XX を使用すれば撮影に必要な光量は1/8で済むようになったのである。1941年公開の『市民ケーン』は、パン・フォーカスで知られる作品であり、なるべくレンズの開口を絞りたいわけだから当然 Super XX を採用した。

もうひとつ重要なのは30年代はテクニカラーが導入された時期であり、初期のカラーは感度が低いはずだから、カラー撮影用の強力な明るさの照明機材はすでに実用化されていたはずである。そうするとEv (露出値) 14 は室内でも達成できたであろう。そうすると、シャッタースピードを1/50 程度と考えれば、絞りは F16 ぐらいはいけるはずである。レンズの焦点距離は 25 mm ぐらいのやや広角がパンフォーカスが問題になるようなシーンでは使われており、そうだとすれば後ろ側の焦点深度は、ほぼ無限大といっていいので、話はあう。

この作品の室内シーンのセットでは天井まで作られており、ローアングルで天井がしばしば見える。天井があることで、マイクは天井裏に隠せるので、マイクの影は気にする必要がないし、照明の点でも有利であっただろう。