「上海リル」を歌った日本の歌手というのは、それこそ何人いるか知らない。根津甚八さえ歌っていたのを覚えている。鶴田浩二によるカバーは有名かもしれない。



ところで、下は昭和二十年代後半に、津村謙が歌ってヒットした曲『上海帰りのリル』である。



島耕二監督による同名の映画が作られて香川美子が「上海リル」を演じていたことも憶いだすかもしれない。くだらないのでYouTubeはあるけど載せないが、津村謙は『リルを探してくれないか』『心のリルよなぜ遠い』という曲もある。紀比呂子自体知らないかもしれないが、その母である三條美紀(女優が本業で映画『王将』はこのブログで取り上げた気がする)のレコード・デビュー曲は『私がリルよ』で、津村謙の返歌なのか。


作曲者に渡久地正信と書いてありメロディーが違うからといって、ここで探求をやめると、例によって「戦前」をなかったことにする日本人特有の病気に罹っているということになってしまう。

戦前(1935)では川畑文子が歌ったものが有名である。歌詞は三根徳一となっているからディック・ミネである。ディック・ミネ自身も歌っているのだがYouTube には見つからない。



※ 追記: デッィク・ミネが歌ったものは次の3曲目にあった。





もちろん、戦前でも川畑文子だけではなく多くの歌手によってカバーされた。次のものは江戸川蘭子によるものである。



ここで探求をやめると、戦前の日本にいかに米国の文化が普及していたかというグローバルな視点が欠如しているといわざるを得ない。つぎのクリップは1933年のプレコード時代のバスビー・バークレーが演出に加わっていることで有名な『フットライト・パレード』である。バスビー・バークレーはこの時期から黄金時代であることは、『ゴールド・ディガーズ』で書いた。そのときに『四十二番街』のことも少し触れたと思う。監督は両作ともロイド・ベーコンである。








この映画で『上海リル』は初演されたのである。作曲者は、ハリー・ウォーレン、作詞はアル・デュービンでクレジットされている。ジェームズ・キャグニーは誰でも知っているが、「上海リル」を演じているのは、ルビー・キーラーである。歌って踊って演じることができる三拍子揃った彼女だが、特にタップダンサーとして有名で当時アル・ジョルスンと結婚していた。本題とはずれるがこのルビー・キーラーにはカラーの映像が残っているのである!



ついでに『フットライト・パレード』のバークレーの振り付けを見ておこう。




ところで、このブログでも紹介済みのジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『上海特急』は、この映画の僅か一年前の1932年である。誰もがその映画に出演したマレーネ・ディートリッヒの役名は「上海リリー」であることを知っているはずである。だからといって「上海リル」が「上海リリー」からの連想だと断言するつもりはないが、ほぼ同時期に「上海リリー」と「上海リル」がアメリカ映画に登場していたのは間違いない。

米国でも"Shanghai Lil" は様々なアレンジでレコードが出ている。そのひとつを聴いてみる。




映画が公開された同年にすでにイタリア語でも歌われている。