「週刊読書人」の清順追悼に関する蓮實重彦さんへのインタビューを読んだ。『ラ・ラ・ランド』のチャゼルが鈴木清順の影響を受けたとほざいたことに関して蓮實さんはこう言っている。

しかし、チャゼル監督に関しては、こう言いたい。『東京流れ者』に関してはともかく、清順さんは1950年代から撮っていた人であり、他の映画をまともに見ていますか。清順さんはごく普通に映画が撮れる人なんですよ、と

ここの発言だけで、読む価値充分である。そして詳しくは実際の記事を読んで欲しいが、映画を見るものに関してはこう言っている。

ところが、わかるということがわかりにくい映画を、清順さんは撮っている。『悪太郎』がそうです。どこが面白いのかすぐにわからないけれども、じっと見ていると、ロケーションが素晴らしかったり、人物と風景の関係が素晴らしいということがわかってくる。


清順の作品が名画座にたまにかかるだけだったというように簡単に見られなかった時代ならいざしらず、DVDで簡単に映画を見ることのできるいまのような時代に、誰でも見ればわかる鈴木清順の「わけのわからなさ」を指摘することがもはや重要なのではない。DVDの時代は、「わかるということがわかりにくい」部分をいかにきちんと見ているかが重要なのである。