あるのかなと思ってしらべたら、YouTube に木村恵吾監督の『歌ふ狸御殿』(1942) がある。これは当分楽しめそうである。時間のある時に見よう。




映像でもメッセージしか受け取ろうとしない人が大部分なのは分かっているが、50年代より前の音楽を聞いてうすうす分かってきたのは、ビートルズ世代の負の側面は音楽ですらメッセージを聴けば充分みたいな風潮を蔓延させたことだと思う。

別に映像の良し悪しの細部がわかったり、音楽の良し悪しの細部がわかったところで、ファシズムに対抗できるという訳ではないのだが、戦前にファシズムに対抗していたのは、結局押入れの中でヘレン・モーガンのラジオ放送を聴いていた淀川長治さんや、日本の宣戦布告の日にトミー・ドーシーのレコードをかけていた瀬川昌久さんみたいな人達だったのである。その人達は、別にアメリカのメッセージに興奮していた訳ではない。アメリカの画面や音のレベルの高さに純粋に興奮して関心を寄せていたのである。調べれば調べるほど吃驚してしまう。どうして、あの時代の一部の日本人はある意味アメリカ人以上にアメリカの映画やジャズ(ポピュラー音楽)のことをあそこまで勉強していたのだろう。蓮實さんが言っていたが、小津作品の大部分のキャメラを担当していた厚田雄春さんなんかは、アメリカ映画を見れば、撮影監督が誰かをピタリと言い当てたそうである。雪村いづみさんも、友達の家にあったアメリカの音楽のレコードを何度も聴いて英語を覚えてしまったという。メッセージしか受け取らない人間にはそんな真似はできはしない。