70年代、夜FMを聞いていると「今晩は、由井正一でございます」という声が流れてきた。さっき調べると『アスペクト・イン・ジャズ』という番組だったらしい。僕はジャズに関してはほとんど何も知らないんだけれど、当時、田舎者のガキにすぎなかった僕がうすうす感じることができたのは、世の中には僕が知っている「ガキ文化」とは違う、「大人の愉しみ」というものがあるらしいということだった。いまでも覚えているのは、その一時期、由井さんの番組をカセット・テープに録音したり、書店で由井正一さんの本を買ってジャズの歴史を読んでいたということであり、きっと「大人の世界」になんとなく惹かれていたに違いない。

 

しかしそれも長続きせず、ジャズについて、結局いまになっても何もしらない僕は、1920~30年代のルイ・アームストロングが凄いことを、ごく最近ホット・ファイブの演奏を聴いてようやく知って、慌ててルイについて持っていた紋切り型の自分のイメージを「悪うございました」と修正したぐらいなのである。それでもなんでこんな記事を書いているかというと、映画とジャズってなんか似ているところがあると思ったからである。

 

たとえば、映画監督のジャック・ベッケルは、若いときジャズに狂っていて、米国のミュージシャンに出会いたいばかりに、大西洋汽船のスチュワードになっている。そして、ある日、船上でキング・ヴィダーに出会い、映画会社で働くように勧められたことが、映画の世界に入ったきっかけだという。そもそも、最初のトーキー映画は『ジャズ・シンガー』と言われているように当時の娯楽は、映画とジャズだったことは間違いない。そして、その文化の普及は米国だけではなかったというのが非常に重要である。映画でいえば、ジャック・ベッケルがそうだったように、小津安二郎がそうだったように、みんなアメリカ映画に狂っていた。戦前のある時期のアメリカ文化は、現在の基準の「大衆文化」ではないというのが最近の僕の考えである。あの時期のアメリカ文化は「大人が愉しめる」信じられないほど高度な文化だということである。この事実は、必ずしも一般的に理解されたわけではないし、今でも十分に理解されているとはとても思えない。しかし、その思いもかけない懐の深さに気がついた人が世界的に確実に存在していたのである。

 

エルヴィス・プレスリーがデビューした1954年ぐらいが、ロックの始まりの時期だと考えれば、ハリウッド映画が本格的に衰退を始めた時期とまさに合致する。それからは「若者文化」「テレビ文化」が台頭していく時期である。この時期の断層のような「不連続性」について、それらを「大衆文化」などという粗雑な括りで同じものとして扱えないと後世の歴史家はみなすと思う。そして、50年代中期以降を映画やジャズの衰退時期とみなして本当にいいのかと思う。もはや「大衆文化」ではなくなった映画やジャズは、それ以前に果たさなねばならなかった「大衆文化」を担う役割から解放され、その「懐の深さ」としての繊細な魅力を十全に輝かせることが、ようやくできるようになったのではないだろうか。