たぶん、「画面に寄り添う批評」といっていいかもしれない映画批評は1960年代の末という時代が懐胎し、それからほぼ五十年がたとうとするいま、蓮實さんのきたるべき『ジョン・フォード論』でひとつの輝かしいピークを迎えようとしているというのが、僕の歴史の見取り図なのである。いままでのところ、それは「まどろんでいた細部をあちらこちらで覚醒させ、それらがしかるべき意義深い配置をとりながらわれがちに立ち騒ぐ祝祭」のことである。

 

最近、少し時間があると、それまでのマイル・ストーンや、いろいろな人がしてきた発言を振り返ってみている。その関係で、ひさしぶりに、1985年に創刊された『季刊 リュミエール』の創刊号の責任編集者 蓮實重彦による巻頭言を読んだ。この雑誌、責任編集者は蓮實さんだが、編集実務は筑摩書房の間宮幹彦さんである。

 

今回、この文章を読んでみると、まるで光と影が震えているようなレトリックだというのに驚いた。単純な対の文章にしないで、少しずつずれていっているのである。たとえば二行目の「誰もが」は四行目の「あなたは」に対応するが、文の中での位置が揃っていない。他の単語もみてみると、それが作為的なのか偶然そうなったのかすらよくわからないように、ランダムに揺らいでいる。「批評史」はどうでもよくなり、その言葉の配置のさせ方が非常に面白かった。

 

 

十年後に一世紀の歴史を持とうとしている映画は、われわれを、欠語と饒舌の中間に居心地悪く位置づける。

 

誰もが、映画をめぐってひたすら饒舌であったときの快楽を知っている。

 

同時に、その果てに待ちうけている徒労の実感をも体験している。

 

映画によって言葉を根こそぎ奪われた瞬間の無上の甘美さをたぶんあなたは知っているだろう。

 

そして、その沈黙にいつまでも耐え続けることの息苦しさをも知っているに違いない。

 

欠語と饒舌のいずれを選ぼうとも、救われたためしなどかつてありはしなかったのだ。

 

光はあんなにも輝いているというのに、あたりに落ちる影はあんなにも黒々としているのに、われわれは、いつも、曖昧な灰色の領域に閉じ込められたままでいる。

 

映画をめぐって語り綴られる言葉は、ながらく、この灰色の自分を納得し、それを正当化する口実にすぎなかった。

 

あたりに行きかう光があんなにもまばゆく輝き、あたりに落ちかかる影があんなにも黒々としているというのに、その光と影とを自分には無縁のものと断じ、それを嫉妬することさえ忘れながら灰色に馴れてゆこうという保身の歴史が、映画批評と呼ばれるものの悲しい歴史なのだ。

 

鈍い灰色に包まれて生きるしかないのであれば、せめて、光と影の戯れをきわだたせてみてはどうだろう。

 

それが「リュミエール」創刊に踏み切った者のささやかな野心である。

 

映画をめぐってことさら饒舌を気どってみたり、欠語に徹したりするのではなく、映画の洩らすつぶやきに瞳で聞き入り、その微妙な震えを瞳で感知することに喜びを覚える人たちにこの雑誌は開かれている。


みずから輝くのではなく、映画をなおいっそう輝かせることの快楽を知っている人たちに、『リュミエール』は、ささやかながら、連帯の場を提供する。


理論だの方法だのは問わない。


灰色の自分に耐えながらも、映画のために自分であることをやめる勇気を持った方々を広く募りたい。