あの伝説的な「シネマ69」の編集者のひとりだった山根貞男さんが日本経済新聞に書かれた清順師の追悼文を、新聞をふだん読まないぼくは見落としていて先ほど読んだ。締め括くりの文、

 
鈴木清順とは映画の自由の別名である。
 
はいい文章だなあ。すでに書いたが僕も清順さんから学んだのは山根貞男さんがおっしゃるように映画のもつ自由さであった。ただし、ここでいっている「自由さ」とは、個性的であるということとはなんの関係もないのであるが、それを上手く表現できないで頭がもやもやしていたら、ふと山田宏一さんが書いていた文章を思い出した。なお当たり前のことであるが、以下に出てくる「 B 級映画」とは、作品の「製作条件」を指す語であって作品の質を指すものではない。
 
 
もちろんそれだけが映画の本質だなどという気は毛頭ないけれども、映画以外の芸術とは違って、「作家」として自己主張したり、自己表現したりすることが、映画のおもしろさを台無しにしてしまう部分があるのではないか、と思えてならない。逆から言えば、作家としての自我意識を埋没した次元においてのみ自由にいきいきと発露できる人間の持ち味、あるいは映画的醍醐味みたいなものがあるのではないか、そして、それこそがB級映画の魅力なのではないか。
 
B級映画の本質とは、ジャンルの神話のなかで躍動するディテールすなわちルーティンのおもしろさであって、これは、作家の自己主張や自我の表現ではない「芸術」の部分なのであり、それにもかかわらず、そこには、映画の根源的な快楽が、映画の歓びが、映画の至福が、ある、ということになるだろう。
 
 
山田さんの文章を読んで得心がいったのは、蓮實さんの追悼文の中に、「清順美学」なんかではなく私の目にはただ(清順さんの映画は)面白かっただけです、という言葉があったが、蓮實さんがいいたかったのも山田さんがここで言っていることと同じような気がする(また、「面白さ」は「シネマ69」のキーワードでもあったはずである)。「悪太郎伝」二部作に心惹かれたというのも、松竹大船で助監督を経験して修業した当時のスタディオ・システムのしっかりした技術に眼がいかないといけないということであろう。そういえば、蓮實さんはこういうことを書いていた。知っていると思うけれど映画美学校のページにある文章からの抜粋である。

わたくしの大原則は間違っても個性的であろうとするなということです。自分は個性的だと思っている人が、世界の、人類の、99.9パーセントであるとするなら、間違ってもそんな連中を真似してはいけない。断固、個性的たろうすることをやめなければいけない。なぜなら、映画は個性的ではない人によってつくられた、という大原則が存在しているからです。 「映画の父」といわれるデヴィット・ウォーク・グリフィスは決して個性的な天才ではない。ごく普通の監督でありながら、それ以前には存在していなかった「映画作家」として自己を開花させた。個性的な才能という点をみれば、シュトロハイム等々、他にもっともっとたくさんいるでしょう。だが、なぜグリフィスが「映画の父」といわれているかというと、彼が普通の映画作家だったからなのです。 普通の映画作家であったということは何を意味しているかというと、与えられた条件の中で自分自身の表現をどこまで高めていくかという、いわば最良のための努力をたえず行っていた監督であるわけです。ゴダールのような人でさえ、最良のための努力をたえず行っている。「相対的によりよい表現がある」ということ、これは幻想かもしれません。だが、それを信じなくては映画は成立しません。


最後に、新文芸坐での鈴木清順 X 山根貞男 トークショーから。

 

山根「鈴木清順監督の映画は、われわれが思う映画からいつも外れていきますよね」

 

清順「外れませんよ。私はみなさんに愉しんでもらおうと思って、娯楽映画をつくってる。日活のときからサービスしてますよ。日活は娯楽をつくってる会社だから。おもしろく見てもらうために工夫する」

 

山根「その工夫の仕方が変わっている。不思議な映画です」

 

清順「どの監督もいろんなことを考えてる。それをやるかやらないか。人を驚かせるには度胸がいるね。度胸がない人もいるけど、(自分は)度胸があるから、クビになった」