わずか39分ほどの作品であるにもかかわらず、人類の歴史が手にしたもっとも美しく官能的なもののひとつであるジャン・ルノワール監督の「ピクニック」について、作品そのものから離れて周辺的なことをまとめておく。

監督はもちろん30歳で監督デビューし、映画史の巨匠の一人となったジャン・ルノワールであり、彼と同じ程度には有名な印象派の画家であるピエール=オーギュスト・ルノワールの次男にあたる。19世紀的なメディアである絵画の代表的な人物がピエール=オーギュスト・ルノワールであるとするならば、ジャンは20世紀的なメディアである映画の代表的な人物であり、ヌーベル・バーグの作家たちからロベルト・ロッセリーニとともに最大の尊敬を受けた。なお日本においてはロベルト・ロッセリーニとともに徹底的に無視され続け、長い間一部のシネクラブをのぞくとまともに重要な作品が公開されることはないか極めて公開時期が遅れ、どうでもいいテーマ主義の『大いなる幻影』ばかりが人口に膾炙した。21世紀初頭においてすら、現存する全作品をDVDですら見ることができない状況が続いている。その一方で19世紀のオーギュスト・ルノワールの「古い」絵画作品をいまだに有り難がる人間は後を絶たない。なお、ジャン・ルノワールはこの映画で息子のアラン・ルノワールとともに役者としても出演している。ジャン・ルノワールの方は食堂の主人役で見間違えようがないが、アランは最初の釣りをしている男の子である。


撮影を担当しているクロード・ルノワールは、画家 ピエール=オーギュスト・ルノワールの三人の息子の長男で映画俳優であったピエール・ルノワールの息子である。つまり画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの孫にあたる。よく混同されるので注意が必要なのは、三人息子の末っ子で陶芸家として知られ『ゲームの規則』『獣人』『ラ・マルセイエーズ』の映画製作も担当しているクロード・ルノワールとは同性同名であるが別人であるということである。クリスチャン・マトラやボリス・カウフマンのもとで修行した撮影のクロード・ルノワールはジャンが監督した作品では欠かすことのできない重要なスタッフである。


助監督のサードであるルキノ・ヴィスコンティは、ルノワールの友人であったココ・シャネルから紹介されて、29歳のときにこの映画でルノワールに出逢って助監督のサードと衣装デザインを経験しなければ、映画なんか撮ることはなかったかもしれない。ヴィスコンティはこう語っている。

「ルノワールはわたしに測り知れないくらい大きな影響をあたえました。ひとはかならず、だれかから学ぶのであって、自分ひとりではなにも生みだしはしないものです」


チーフ助監督のジャック・ベッケルはもちろん『肉体の冠』の監督であり、ルノワールはその自伝にわざわざ一章を彼のために割いている。助監督は、他には写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンや『デデという娼婦』の監督でシモーヌ・シニョレと一時期結婚していたイヴ・アレグレもいた。

プロデューサーはもちろんピエール・ブローンペルジェ。ルノワールのプロデューサーとしてのみならず、ヌーベル・バーグは彼の後押しなしにはなかっただろう。『水の話』『男の子はみなパトリック』などの短編製作で監督デビューさせたのである。ジャン・リュック・ゴダールは彼のことをこう語っている。

「多くの人々が映画を愛していました、親愛なるピエール。そして、ごくごく少数の人が映画に愛されていました。あなたはその後者です」


ブランコを漕ぐ若い女性アンリエッタを演じるのがシルヴィア・バタイユ。当時の夫はジョルジュ・バタイユであり、後にジャック・ラカンの奥さんになる。当時の恋人はピエール・ブローンペルジェであった。そして、夫であるジョルジュ・バタイユは、台詞に協力したジャック・プレヴェールとともに牧師の役で出演している ! 台詞に協力したジャック・プレヴェールは、もちろん『天井桟敷の人々』の脚本や、シャンソン『枯葉』の歌詞の人である。

ルノワールの当時の奥さんだったマルグリットもメイド役で出演している。彼女はルノワール映画の編集者としてやはり欠かすことができないスタッフである。

音楽はジョセフ・コスマ。ジャック・プレヴェールと組んだ『枯葉』をはじめとするシャンソンで知っているだろう。


原作は、モーパッサンの短編『野あそび』を映画したものだが、モーパッサンは父のオーギュストと仲が良かったことはよく知られている。モーパッサンは、映画とは相性の良い作家だ。