ギュスタブ・フローベールは、三十歳になる直前に『ボヴァリー夫人』の執筆を始めたことはすでに書いたが、中上健次は1946年8月2日生まれであり、彼の傑作『枯木灘』が、『文藝』に連載が開始され始めたのは1975年で、河出書房新社から単行本が刊行されたのは1977年のことであり、僕の頭の中では『ボヴァリー夫人』と『枯木灘』は、どちらも作家が三十歳ぐらいのときに書いた代表作というにとどまらない傑作として存在している。そしてときどき、その二つの作品の細部の描写を一緒に並べてみるのである。もちろん似ているとかそういうことではない。ただ無根拠に並置させてみたいのである。

秋幸は川原に立った。川の水音が耳にこもった。風が吹くたびに葉裏を見せて向こう岸の山の灌木が揺れた。山が幾重にも重なり、丁度その山の入り口あたりに出来た川の浅瀬だった。水は白くしぶきながら流れていた。秋幸は、徹が洋一の手をつかみ流れの速い浅瀬を渡すのを見ていた。むこう岸の川石が浮き上がったところに二人が立った。二人は身を屈め、川石を並べはじめた。石を持ち上げるたびに洋一は、「よいしょ」と弾んだ声を出した。徹の屈めた体のむこうに紅い花をつけた丈低い木が岩に生えているのが見えた。朝の光は二人を毳(けば)だたせた。夢の中に秋幸はいまいる気がしたのだった。洋一が繁蔵とフサの家に居はじめてから秋幸はよくはっきりとその男だとわかる夢をみた。昨夜も、その男とその男の子供達の夢を見たのだった。秋幸は泣いていた。丁度、徹が肝臓癌で倒れたまま寝込んだ父親の臨終の枕元に、女のように尻を畳につけて正座し、こらえかねて畳に頭をつけて泣いていたみたいに。洋一が、文造に噛んで含められて盆の日までの辛抱だと言いきかされていたにもかかわらず、ホームを走り、声をあげ、涙を流したように。その男は死にかかっていた。眼と眼が合った。涙が吹き出た。眼がさめて、何故そんな夢をみるのか秋幸には不思議だった。

その男、それが秋幸の実父だった。生まれてから一度もその男と暮らしたことがなかった。