『日本批評大全』の後書きから。

言葉への(同じことだが、他者への)畏怖を知らぬ者たちによる「批評」めいた言説がSNSを介して日々大量に垂れ流され、これがまた、惨状を数層倍化する。あの承認要求に上気した感想文の夥しさが逆に、文明国にありうべき真の批評性の著しい減衰をまねいている事実も、とうぜん見逃せぬのだが、ことほどさように、「批評」はいま明らかに死にかけている。すでに心肺停止に陥っているといって過言ではない。

とすれば、現実の蘇生装置がそうであるように、まず、「批評」の気道を確保し、そこに大量の酸素を送り込むよりほかにない。



僕は、学生時代に蓮實さんの文章やゼミでの発言に触れた後で、映画の表情がまったく変わって見えた。自分のモノの見方や考え方が、まったくなっていないことを思い知らされた。蓮實さんの活動を「批評」と名付けるならば、僕は本当にその「批評」に感謝している。

他者への、言葉への、画面への畏れや慎みを持たぬ人たちが、自意識過剰な無償の饒舌を繰り返すことで、いつかお他人様の国の大統領のような、他者への、言葉への畏れや慎みをもたぬ人物を招き寄せみずからの自由を委ねるのだ。米国だと、まだメディアには優れた書き手が残っていて、ニューヨーク・タイムズの記事や報道にはさすがに見識が高いと思わせるものがいくつかある。そういうすぐれた表現者が残っている限りなんとかなるだろうと思う。日本のメディアは壊滅的である。渡部さんの今回の本はじつにタイムリーなときに出版されたと思う。