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ベルリンの Tiergarten (獣苑) の近くのホテルに宿泊し、朝時間があったので、散歩がてら天使の像を見に行った。いうまでもなく、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン天使の詩」と森鷗外の「舞姫」の記憶にひかれてのことである。


すべての虚構は煎じ詰めると、ある境界線を設定することで、「こちら」と「あちら」という対立する2項を設定し、その境界線を登場人物が越えた後、また帰ってくるというものらしい。森鷗外の「舞姫」は非常にわかりやすい境界線が設定され、典型的にこの虚構の構成に従っている。ここで興味があるのは、「舞姫」の虚構を活気づけているものの一つである「光」の描写についてである。誰もが知っているように、「光」の描写は作品の冒頭から出てくる。
 
炭をば早や積み果てつ。中等室の卓(つくえ)のほとりはいと靜(しずか)にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。今宵(こよい)は夜毎(よごと)にこゝに集ひ來る骨牌(かるた)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に殘れるは余一人のみなれば。
 
物語は、主人公の豊太郎が船に乗って日本へと向かう帰路、船がセイゴン(サイゴン)に寄港した場面から始まる。豊太郎は誰もいない船の中等室の電灯の下で、明かりがついている間、回想を綴ってみるということになっている。そして、その回想の中で、ベルリンに着いた豊太郎がまず、注目したのは大都市の「光彩」であり「色沢」である。
 
余(よ)は模糊(もこ)たる功名の念と、檢束(けんそく、注:自由を抑制すること)に慣れたる勉強力とを持ちて、忽(たちま)ちこの歐羅巴(ヨーロッパ)の新大都の中央に立てり。何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色澤(しきたく)ぞ、 我心を迷はさむとするは。菩提樹(ぼだいじゅ)下と譯(やく)するときは、幽靜(ゆうせい)なる境なるべく思はるれど、この大道(だいどう)髮(はつ)の如(ごと)きウンテル、デン、リンデンに來て兩邊(りょうべ)なる石だゝみの人道を行く隊々(くみぐみ)の士女を見よ。胸張り肩聳(そびえ)たる士官の、まだ維廉(ヰルヘルム)一世の街に臨める(まど)に倚(よ)り玉(ま)ふ頃なりければ、樣々の色に飾り成したる禮裝(れいそう)をなしたる、妍(かほよ)き少女の巴里(パリ)まねびの粧(よそほひ)したる、彼(かれ)も此(これ)も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青(チヤン)の上を音もせで走るいろ/\の馬車、雲に聳(そび)ゆる樓閣(ろうかく)の少しとぎれたる處(ところ)には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲(みなぎ)り落つる噴井(ふきい)の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交(か)はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多(あまた)の景物目睫(もくしょう)の間に聚(あつ)まりたれば、始めてこゝに來しものゝ應接(おうせつ)に遑(いとま)なきも宜(うべ)なり。されど我胸には縱(たと)ひいかなる境に遊びても、あだなる美觀に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮(さえぎ)り留(とど)めたりき。
 
豊太郎は、ベルリンについても「つねに我を襲ふ外物を遮(さえぎ)り留(とど)めたりき」とあるが、そこには例外がある。それはクロステル街の風景である。豊太郎はエリスにその街で初めて出逢う。
 
ある日の夕暮なりしが、余(よ)は獸苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我(わ)がモンビシユウ街の僑居(きょうきょ、注:仮の住まい)に歸(かえ)らんと、クロステル巷の古寺の前に來ぬ。余(よ)は彼の燈火の海を渡り來て、この狹く薄暗き巷に入り、樓上(ろうじょう)の木欄(おばしま)に干したる敷布、襦袢(はだぎ)などまだ取入れぬ人家、頬髭(ほおひげ)長き猶太(ユダヤ)教徒の翁(おきな)が戸前に佇(たたず)みたる居酒屋、一つの梯(はしご)は直ちに樓(たかどの)に達し、他の梯(はしご)は窖(あなぐら)住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引籠(ひっこ)みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫(しば)し佇(たたず)みしこと幾度なるを知らず。今この處(ところ)を過ぎんとするとき、鎖(とざ)したる寺門の扉に倚(よ)りて、聲(こえ)を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被(かぶ)りし巾(きれ)を洩れたる髮の色 は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我(わが)足音に驚かされてかへりみたる面、余(よ)に詩人の筆なければこれを寫(うつ)すべくもあらず。この青く 清らにて物問ひたげに愁(うれい)を含める目(まみ)の、半(なか)ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おお)はれたるは、何故に一顧(いっこ)したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。彼は料(はか)らぬ深き歎(なげ)きに遭ひて、前後を顧(かえ)みる遑(いとま)なく、こゝに立ちて泣くにや。我が臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覺(おぼ)えず側に倚(よ)り、「何故に泣き玉(たま)ふか。ところに繋累(けいるい)なき外人(よそひと)は、却(かえ)りて力を借(か)し易(やす)きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大膽(だいたん)なるに呆れたり。
 
ここまで読めばすでに明らかだが、最初に「熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり」とあるように、豊太郎は煌々としたその明かりに空しさを感じ、またベルリンのウンテル・デン・リンデンに立って、その華やかな光を見ても心を動かされることはないが、薄暗い光、ほのかな光には心を動かさずにはいられない存在として描かれている。そして、豊太郎がエリスと初めて出逢う物語における決定的に重要な場面も、この薄暗い光の中においてである。豊太郎は、この後エリスの家に行き、部屋の灯火のもととエリスを見る。
 
彼(=エリス)は優(すぐ)れて美なり。乳(ち)の如(ごと)き色の顏は燈火(ともしび)に映じて微紅(うすくれない)を潮(さ)したり。手足の纖(かぼそ)く(たをやか)なるは、貧家の女(おみな)に似ず。老媼(おうな)の室を出でし跡(あと)にて、少女は少し訛(なま)りたる言葉にて言ふ。「許し玉(たま)へ。君をこゝまで導きし心なさを。君は善き人なるべし。我をばよも憎み玉(たま)はじ。明日に迫るは父の葬(はふり)、 たのみに思ひしシヤウムベルヒ、君は彼を知らでやおはさん。彼は「ヰクトリア」座の座頭なり。彼が抱(かか)へとなりしより、早や二年なれば、事なく我等を助けんと思ひしに、人の憂に附けこみて、身勝手なるいひ掛けせんとは。我を救ひ玉(たま)へ、君。金をば薄き給金を拆(さ)きて還し參らせん、縱令(よしや)我身は食はずとも。それもならずば母の言葉に。」彼(=エリス)は涙ぐみて身をふるはせたり。その見上げたる目には、人に否とはいはせぬ媚態あり。この目の働きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。
 
そして、まるでほのかな灯火そのもののように、「微紅(うすくれない)を潮(さ)した」エリスの顔に豊太郎は決定的に惹かれることになる。この後、豊太郎は、留学仲間や上司によって非難され、職を追われた後、豊太郎とエリスは決定的に結ばれると作品にはあるが、主題的には、豊太郎とエリスはこの瞬間に決定的に結ばれたと考えることができる。そうして、豊太郎はエリスの家に移り、二人で生活をすることになる。「我(わが)学問は荒みぬ」などと、二回も書いているが、この下の引用には幸福感が満ちている。
 
我(わが)學問は荒(すさ)みぬ。屋根裏の一燈(いっとう)微(かすか)に燃えて、エリスが劇場よりかへりて、椅(いす)に寄りて縫ものなどする側の机にて、余は新聞の原稿を書けり。昔しの法令條目の枯葉を紙上に掻(かき)寄せしとは殊(こと)にて、今は活溌々たる政界の運動、文學美術に係る 新現象の批評など、彼此(かれこれ)と結びあはせて、力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧(むし)ろハイネを學びて思を構へ、樣々の文を作りし中にも、引續(ひきつづ)きて維廉(ヰルヘルム)一世と佛得力(フレデリツク)三世との崩(ほうそ)ありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何(いかん)などの事に就(つい)ては、故(ことさ)らに詳(つまび)かなる報告をなしき。さればこの頃よりは思ひしよりも忙はしくして、多くもあらぬ藏書を繙(ひもと)き、舊業(きゅうぎょう)をたづぬることも難く、大學の籍はまだ刪(けづ)られねど、謝金を收むることの難ければ、唯だ一つにしたる講筵(こうえん)だに往きて聽くことは稀なりき。  我學問は荒みぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。そをいかにといふに、凡(およ)そ民間學の流布(るふ)したることは、歐洲諸國(おうしゅうしょこく)の間にて獨逸(どいつ)に若(し)くはなからん。幾百種の新聞雜誌に散見する議論には頗(すこぶ)る高尚なるも多きを、余は通信員となりし日より、曾(かつ)て大學に繁く通ひし折、養ひ得たる一隻(いっせき)の眼孔もて、讀(よ)みては又讀(よ)み、 寫(うつ)しては又寫(うつ)す程に、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自(おのづか)ら綜括的になりて、同郷の留學生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼等の仲間には獨逸(どいつ)新聞の社説をだに善くはえ讀(よ)まぬがあるに。
 
こうして、エリスは妊娠するのだが、日本から友人である相沢謙吉がベルリンにやってきて、彼の働きで豊太郎は復職する路が開け、日本に彼と一緒に戻ることを約束してしまう。そのことをエリスに告げられない豊太郎は、雪の中を彷徨し、ついにはエリスと暮らしている四階の屋根裏部屋に戻るわけだが、その場面がどう描写されているかを下に見てみる。
 
四階の屋根裏には、エリスはまだ寢(い)ねずと覺(おぼ)ぼしく、烱然(けいぜん)たる一星の火、暗き空にすかせば、明かに見ゆるが、降りしきる鷺(さぎ)の如き雪片に、乍(たちま)ち掩はれ、乍ちまた顯(かく)れて、風に弄(もてあそ)ばるゝに似たり。戸口に入りしより疲(つかれ)を覺(おぼ)えて、身の節(ふし)の痛み堪(た)へ難(がた)ければ、這(は)ふ如くに梯(はしご)を登りつ。庖厨(くりや)を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机(つくえ)に倚りて襁褓(むつき、注:おむつ)縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」驚きしも宜(うべ)なりけり、蒼然(そうぜん)として死人に等しき我(わが)面色、帽をばいつの間にか失ひ、髮は蓬(おど)ろと亂(みだ)れて、幾度か道にて跌(つまづ)き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪に(よご)れ、處々(ところどころ)は裂けたれば。余は答へんとすれど聲(こえ)出でず、膝の頻(しき)りに戰(おのの)かれて立つに堪(た)へねば、椅子を握(つか)まんとせしまでは覺(おぼ)えしが、その儘(まま)に地に倒れぬ。
 
この雪に見え隠れする灯りの描写は、運命に弄ばれる二人の関係を象徴するものとして、物語に導入されており凡庸といえば凡庸なメロドラマ的描写だが、二人の関係を灯りとして描いた鷗外は、物語を語るのに長けていると言わざるをえない。こうして、豊太郎は人事不省に陥り、意識がない間に友人の相沢謙吉がやってきて、エリスに豊太郎が日本へ帰るつもりであることを告げる。それを聞いたエリスは発狂するわけだが、豊太郎が意識を取り戻した時の描写を見てみる。
 
人事を知る程(ほど)になりしは數週の後なりき。熱劇(はげ)しくて譫語(うはこと)のみ言ひしを、エリスが慇(ねもごろ)にみとる程に、或日(あるひ)相澤は尋ね來て、余(よ)がかれ(=エリス)に隱したる顛末(てんまつ)を審(つば)ら に知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕(つくろ)ひ置きしなり。余は始めて病牀に侍するエリスを見て、その變(かわ)りたる姿に驚きぬ。彼(=エリス)はこの數週(すうしゅう)の内にいたく 痩(や)せて、血走りし目は窪み、灰色の頬は落ちたり。相澤の助にて日々の生計には窮(きゅう)せざりしが、此(この)恩人は彼(=エリス)を精神的に殺しゝなり。
 
「乳(ち)の如(ごと)き色の顏は燈火(ともしび)に映じて微紅(うすくれない)を潮(さ)したり」と描写されていたエリスの顔は、この場面では「灰色の頬は落ちたり」と描写されている。つまり灯火は完全に落ちて、灰になってしまったのだ。
 
この救いようのない作品でも、設定された境界線を無効にするような至福の瞬間というものがある。それは二つの世界のうちのどちらかを選択しなければ気が済まない主人公、豊太郎が、友人、相沢謙吉の上司にあたる天方伯爵と一緒にロシアに出張して、二十日ほどエリスと豊太郎が離ればなれになった後、再会する場面である。豊太郎が、たとえ一瞬でもその二者択一を忘れるのがこの場面である。ここでも、光の描写が二人の再会を活気づている。豊太郎は駅から馬車でエリスのいる四階の屋根裏部屋のところに帰るのだが、ここの描写の運動感は素晴らしい。馭者を登場させているところも鷗外には珍しいユーモアを感じる。
 
嗚呼(ああ)、獨逸(どいつ)に來し初に、自(みずか)ら我(わが)本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛(ばく)して放たれし鳥の暫(しば)し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の絲(いと)は解くに由(よし)なし。曩(さき)にこれを繰つりしは、我(わが)某省の官長にて、今はこの絲(いと)、あなあはれ、天方伯(あまかたはく)の手中に在り。余が大臣の一行と倶(とも)にベルリンに歸(かえ)りしは、恰(あたか)も是れ新年の旦(あした)なりき。停車場に別を告げて、我家をさして車を驅(か)りつ。こゝにては今も除夜に眠らず、元旦に眠るが習なれば、萬戸(ばんこ)寂然たり。寒さは強く、路上の雪は稜角(かど)ある氷片となりて、晴れたる日に映じ、きら/\と輝けり。車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐(と)まりぬ。この時(まど)を開く音せしが、車よりは見えず。馭丁に「カバン」持たせて梯(はしご)を登らんとする程に、エリスの梯(はしご)を駈け下るに逢ひぬ。彼(=エリス)が一聲(せい)叫びて我頸(うなじ)を抱きしを見て馭丁(ぎょしゃ)は呆(あき)れたる面もちにて、何やらむ髭(ひげ)の内にて云ひしが聞えず。「善くぞ歸(かえ)り來玉(たま)ひし。歸り來玉(たま)はずば我命は絶えなんを。」我心はこの時までも定まらず、故郷を憶(おも)ふ念と榮達(えいたつ)を求むる心とは、時として愛情を壓(あっ)せんとせしが、唯(た)だ此(この)一刹那(せつな)、低徊踟(ていかいちちゅう)の思は去りて、余は彼(=エリス)を抱き、彼(か)の頭は我(わが)肩に倚(より)りて、彼が喜びの涙ははら/\と肩の上に落ちぬ。「幾階か持ちて行くべき。」と鑼(どら)の如く叫びし馭丁(ぎょしゃ)は、いち早く登りて梯(はしご)の上に立てり。戸の外に出迎へしエリスが母に、馭丁(ぎょしゃ)を勞(ねぎら)ひ玉(たま)へと銀貨をわたして、余は手を取りて引くエリスに伴はれ、急ぎて室に入りぬ。一瞥(いちべつ)して余は驚きぬ、机の上には白き木綿、白き「レエス」などを堆(うづたか)く積み上げたれば。エリスは打笑みつゝこれを指して、「何とか見玉(たま)ふ、この心がまへを。」といひつゝ一つの木綿(もめん)ぎれを取上ぐるを見れば襁褓(むつき)なりき。「わが心の樂しさを思ひ玉(たま)へ。産れん子は君に似て黒き瞳子(ひとみ)をや持ちたらん。この瞳子(ひとみ)。嗚呼(ああ)、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。産れたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせ玉(たま)はじ。」彼(=エリス)は頭(こうべ)を垂れたり。「穉(おさな)しと笑ひ玉(たま)はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙滿ちたり。