小津映画には列車がよく登場するものの、「小津のほとんどすべての作品は、列車の場面を取り入れている」というのはいいすぎだ。見落しているかもしれないが、現存する次の小津作品に列車はでてこない。
『突貫小僧』(1929)、『落第はしたけれど』(1930)、『淑女と髭』(1931)、『東京の女』(1933)、『非常線の女』(1933)、『出来ごころ』(1933)、『東京の宿』(1935)、『菊五郎の鏡獅子』(1936)、『淑女は何を忘れたか』(1937)、『戸田家の兄妹』(1941)、『長屋紳士録』(1947)
『小早川家の秋』(1961)、『お早う』(1959) には駅のシーンがあるが、列車は直接登場しない。『小早川家の秋』は、駅のホームで司葉子と宝田明が壁の方に向いたベンチに並んで座って語りあうシーンがある。やがて駅員がアナウンスし、壁に照明が反映し、さらにベンチに人がいなくなることから電車がやって来たことがわかる。しかし、カメラはベンチの方に向けられたまま、電車そのものを写すことはない。また、『お早う』の終り付近には、久我美子と佐田啓二が朝のホームにたって空を見あげながら小津的なオウム返しの会話をくりひろげるシーンがある。しかし、そこでも画面に電車はでてこない。
『早春』(1956)、『麦秋』(1951)の冒頭、そして『秋刀魚の味』(1962)には電車が登場するが、どちらかというとホ-ムに並んだ男女が会話することに重点がおかれてる。
映画と列車というとリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1897)のような神話的イメージにもとづく言及がされがちだが、小津映画の列車において重要なことは列車が到着することではなく、出発することだ。実際、市電や列車が画面に背景として登場するだけの、
『生まれてはみたけれど』(1932)、『風の中の牝雞(めんどり)』(1948)『宗方姉妹』(1950)、『朗らかに歩め』(1930)、『その夜の妻』(1930)、『母を恋はずや』(1934)
といったものをのぞけば、小津作品には列車に乗って旅立つだれかを親しい者が見送るものがもっとも多い。たとえば、『東京物語』(1953)では、香川京子が原節子を、『秋日和』(1960)や『青春の夢いまいづこ』(1932)では、ビルの屋上から会社の同僚が友人の新婚旅行を、『和製喧嘩友達』(1929)では、並走する自動車から「喧嘩友達」が新婚旅行にむかうカップルを、さらに『大学は出たけれど』(1929)では、田中絹代が就職がきまり出勤する夫を見送る。『彼岸花』(1958)の冒頭には、東京駅から新婚旅行に出かける花嫁を駅員が品定めするユーモラスなシーンがあることを、だれもが覚えているだろう。『浮草物語』(1934)、『浮草』(1959)、『父ありき』(1942)、そして『東京暮色』(1957)には、列車に乗って新たな生活をはじめようとする男女の姿がいずれも物語の最後の方に描かれている。
出発のイメージから派生した特殊な例もある。例えば、娘の新居を訪問すべく佐分利信が旅人になる『彼岸花』のラストや、小暮實千代が須磨に出かけた後、佐分利信が飛行機で海外に出発する『お茶漬の味』(1952)の後半がそうだ。
出発というよりたんに移動するという運動のイメージが強いのは、『晩春』(1949)、『麦秋』の通勤シーン、そして『お茶漬の味』の修善寺に旅行するシーンであろう。
また、出発とはやや意味合いは異なるが、死や別離をあらわす例として、――その場面に電車は示されないものの――有馬稲子が実質的に踏切自殺する『東京暮色』や、菅井一郎が電車が通過する踏切りの傍らに座りこんだとき空の画面が挿入される『麦秋』の場面がある。
列車が到着のイメージになる小津作品は、母親が上京したときに汽車の画面が挿入される『一人息子』(1936)や、物語の終わりに池部良が地方へと赴任したとき、汽車の画面が挿入される『早春』(1956)ぐらいだと思う――もっとも、『早春』の汽車はどちらかというと新たな生活のはじまりというイメージで受けとった方がいいのかもしれない。
以上にはあてはまらないことで、畸型的ともいえる列車のイメージが出てくる小津作品が二つある。ひとつは、スキーの行き帰りの市電と列車のシーンがある『若き日』(1929)。もうひとつは、市電に乗っている母子が窓から、のぼりを担いで歩いている岡田時彦を見つける『東京の合唱(コーラス)』(1931)。『東京の合唱(コーラス)』で市電が登場するのはこの場面だけだ。内と外を通底させ、偶然を肯定させる映画ならではの素晴らしいシーンだと思う。F.W.ムルナウの傑作『サンライズ』(1928)の路面電車を想起させる。