「影響を与える/与えない」で他動詞の目的語を以下の三つに分類してみた。
1) 目的語自体が生成したり、消滅したり、変化して別の状態になったりする。
2) 主語と目的語の距離が変化したり、主語と目的語の間にある関係が生まれる。
3) 目的語には変化がなく、主語の状態だけが変化する。
受身文は、上でいっている目的語が主語になる文というのはいいと思う。受身文がつくれるつかないを上の三つの分類に従って調べてみたい。まず、1)の場合は、比較的自由に受身文が作れるということはいいだろう。
Bill was hit by his roommate.
That building was broken last year.
次に、2)の場合だが、「距離が縮まる」という類の他動性については、行為者に明確な意図がない限りは受動態にはならない。次の受け身文は自然である。
The purse was picked up from the street by a passerby.
Today's mail was delivered by our regular mailman.
しかし、以下の例は不自然である。
× Mary was approached by a speeding car.
車が明確にメリーを特に選んでそれを対象に近づいたとは考えにくいからだ。しかし、次のように意図が感じられる場合は問題ない。
Mary was approached for contributors by several fund raisers.
さらに、上記の制約にくわえて、受身の「主語」は、by 以下の動作者が全面的に関与しているという条件が必要になる。下の例を見て欲しい。
× The lecture hall was entered by John on time.
Johnは、「意図」をもって、講義会場に入ったのかもしれないが、入った人は他にも大勢いるだろう。したがって、ジョンによる影響は部分的としか感じられないために、このような受身文は成立しないのだ。次のような例だったら問題ない。
The reactor chamber was entered by a team of scientists for the first time on Friday.
原子炉に入ったのは、他ならぬ科学者のチームであり、それが初めてであるから、「全面的」と「意図的」という二つの制約を満足している。
最後の 3)の場合には、受け身文の主語(能動文の対象)にはなんの変化もない。この場合は、受け身文が、受け身文の「主語を特徴づける」のであれば受け身文にできる。どういうことか見てみよう。
次の受け身文は、主語を特徴づけているとは言えない。
× Hamlet was read by John last night.
なぜならJohn が読んだことが、シェークスピアの作品、Hamletを特徴づけるとは思えないからだ。しかし、次のような受身文は、主語である Hamlet を特徴づけているといえる。
Hamlet was read even by John.
Hamlet was read by millions of people all over the world.
以上が、他動詞が受身文になれるかなれないかの説明である。
ところで、最後の3)の「主語の特徴付け」で受け身文が作れるのだったら、自動詞だって受身文にできるだろうと思うかもしれない。そのとおりなのである。
例をあげると、
The dog walked under the bridge.
を次のように、受身文にするのは、どう考えても不自然だ。
× The bridge was walked under by the dog.
しかし、次のような文は立派に受け身文になる。受身文の主語である「その橋」を特徴づける内容と言えるからだ。
The bridge has been walked under by generations of lovers.
次の文も問題ない。
This pen was written with by Charles Dickens in the 19th century.
もちろん、最後の例は有名でない人が使っても成立しない。ともかく、主語を特徴づけることが必要なのだ。
これ以外にも熟語的な自動詞(定型的な自動詞+前置詞のパターン)では、主語が状態変化をおこし、かつ動作者が意図的で全面的に関与したと思われるケースであれば、自動詞でも受け身文になる。次の例をみて欲しい。
Mary was laughed at by her classmates when she sang.
上の例は、
1) Mary は笑われて傷ついた
2) 笑ったのはクラスメートみんなである
3) 笑ったのは意図的である
しかし、次の例は不可である。
× I was waited for by Mary yesterday.
なぜなら主語の I が上の例のような「笑われて傷ついた」みたいな状態変化したというニュアンスがあまり感じられないからである。もう少し感情変化のニュアンスを加えてあげれば問題ない。
I don't like to be waited for.
この例は、「人を待たせるのは好きでない」ということで、「私」を特徴づけてもいることにも注意したい。
1) 目的語自体が生成したり、消滅したり、変化して別の状態になったりする。
2) 主語と目的語の距離が変化したり、主語と目的語の間にある関係が生まれる。
3) 目的語には変化がなく、主語の状態だけが変化する。
受身文は、上でいっている目的語が主語になる文というのはいいと思う。受身文がつくれるつかないを上の三つの分類に従って調べてみたい。まず、1)の場合は、比較的自由に受身文が作れるということはいいだろう。
Bill was hit by his roommate.
That building was broken last year.
次に、2)の場合だが、「距離が縮まる」という類の他動性については、行為者に明確な意図がない限りは受動態にはならない。次の受け身文は自然である。
The purse was picked up from the street by a passerby.
Today's mail was delivered by our regular mailman.
しかし、以下の例は不自然である。
× Mary was approached by a speeding car.
車が明確にメリーを特に選んでそれを対象に近づいたとは考えにくいからだ。しかし、次のように意図が感じられる場合は問題ない。
Mary was approached for contributors by several fund raisers.
さらに、上記の制約にくわえて、受身の「主語」は、by 以下の動作者が全面的に関与しているという条件が必要になる。下の例を見て欲しい。
× The lecture hall was entered by John on time.
Johnは、「意図」をもって、講義会場に入ったのかもしれないが、入った人は他にも大勢いるだろう。したがって、ジョンによる影響は部分的としか感じられないために、このような受身文は成立しないのだ。次のような例だったら問題ない。
The reactor chamber was entered by a team of scientists for the first time on Friday.
原子炉に入ったのは、他ならぬ科学者のチームであり、それが初めてであるから、「全面的」と「意図的」という二つの制約を満足している。
最後の 3)の場合には、受け身文の主語(能動文の対象)にはなんの変化もない。この場合は、受け身文が、受け身文の「主語を特徴づける」のであれば受け身文にできる。どういうことか見てみよう。
次の受け身文は、主語を特徴づけているとは言えない。
× Hamlet was read by John last night.
なぜならJohn が読んだことが、シェークスピアの作品、Hamletを特徴づけるとは思えないからだ。しかし、次のような受身文は、主語である Hamlet を特徴づけているといえる。
Hamlet was read even by John.
Hamlet was read by millions of people all over the world.
以上が、他動詞が受身文になれるかなれないかの説明である。
ところで、最後の3)の「主語の特徴付け」で受け身文が作れるのだったら、自動詞だって受身文にできるだろうと思うかもしれない。そのとおりなのである。
例をあげると、
The dog walked under the bridge.
を次のように、受身文にするのは、どう考えても不自然だ。
× The bridge was walked under by the dog.
しかし、次のような文は立派に受け身文になる。受身文の主語である「その橋」を特徴づける内容と言えるからだ。
The bridge has been walked under by generations of lovers.
次の文も問題ない。
This pen was written with by Charles Dickens in the 19th century.
もちろん、最後の例は有名でない人が使っても成立しない。ともかく、主語を特徴づけることが必要なのだ。
これ以外にも熟語的な自動詞(定型的な自動詞+前置詞のパターン)では、主語が状態変化をおこし、かつ動作者が意図的で全面的に関与したと思われるケースであれば、自動詞でも受け身文になる。次の例をみて欲しい。
Mary was laughed at by her classmates when she sang.
上の例は、
1) Mary は笑われて傷ついた
2) 笑ったのはクラスメートみんなである
3) 笑ったのは意図的である
しかし、次の例は不可である。
× I was waited for by Mary yesterday.
なぜなら主語の I が上の例のような「笑われて傷ついた」みたいな状態変化したというニュアンスがあまり感じられないからである。もう少し感情変化のニュアンスを加えてあげれば問題ない。
I don't like to be waited for.
この例は、「人を待たせるのは好きでない」ということで、「私」を特徴づけてもいることにも注意したい。