まだみんなが寝ている夜中ですが、彼女はいつもこの時間に起きます。足で床を強く叩きながら、睡魔と戦います。極楽浄土に行きたいと自分に何度も言い続けます。
極楽浄土に行きたいです!
極楽浄土に行きたいです!
極楽浄土に行きたいです!
これは信琴さん毎日のルーティンです。
そして20年間もやり続けてきました。
1963年ある日の夕方、台湾の南投竹山にある村の一家、煙突から煙が出ております。15歳の信琴さんが晩ごはんを作っています。
彼女が長女であり、兄弟のたちのために小学校を卒業後に進学を諦め、家計を手伝うようになりました。
夜の隙間時間に裁縫の技術を学ぶには、師匠のとこによく行きました。蓮の花を綺麗に裁縫しました。あの時、菩薩道の意味がまだわからなかったです。ただ金稼ぎのため、兄弟たちの授業料を稼ぎたい気持ちでした。
10年もあっという間に経ちました。
結婚しても生活が相変わらずでした。小さな屋台で家計を立て、次々と子供を3人も産みました。
生活のプレッシャーで、人生はなんのためだとよく考えました。仏教のことをはじめて触れ合う時に、人生の方向性に気付くようになりました。
42歳の時、ついに徳雲寺で仏門に帰依し、
肉を食べずにベジタリアンになりました。お寺の授業を定期的に受けに行きます。
3年後、浄空法師さんが仏教の教えを解説する動画を偶然に観て、非常に感無量でした。その後、浄土宗を専従に修行するようになりました。必ず、毎日『無量寿経』を読み上げ、念仏を唱えます。浄空法師さんの動画を常に流し、仏陀の教えを日常生活に取り入れるようにしました。
そのまま、10年も経ちました。
彼女がおばあちゃんになり、可愛い孫さんが二人もいます。しかし、彼女がこの世間に全く未練がございません。むしろ修行のことにもっと精進しました。
彼女が、念仏を唱えるにはただ阿弥陀仏様と縁を結むだけのためか?それとも極楽浄土に行きたい?とよく子供たちに話します。
このような世間に縛られない淡白な心は、極楽浄土に行きたいという純粋な態度を示しています。
54歳の時、バイトで事故に遭いました。
危機一髪の瞬間に、彼女が一生懸命に念仏しました。車にひねられても擦り傷くらいで済みました。もっと不思議なことに、彼女を何年も悩ませた骨棘が、薬なしで治りました。
この経験で、仏教の教えをさらに信仰するようになり、修行もさらに精進しました。
昼に孫の面倒で時間がないため、怠ってはいけないと思い、修行を夜中3時からにしました。
アラームを止め、横になったままでしばらく黙読にっ念仏をします。そして、ゆっくりと起きます。時々睡魔に襲われたら、足で床を強く叩きながら、心の奥、極楽浄土に行きたい!極楽浄土に行きたい!と自分に言い続けます。完全に目が覚めるまで続きます。
朝のルーティンとして、礼拝、念仏、お経を読むことです。
亡くなる半年前に、彼女が真っ暗な道に歩いている夢を見ました。周りが静かすぎて、恐怖感を感じさせます。その時、彼女が念仏しました。突然、空から光が照らしてきて、両側の道にたくさんの僧侶がいました。みんなが合掌し、念仏します。空から2枚のお位牌が、ゆっくりと彼女の前に落ちました。
目が覚めて、彼女が嬉しい涙が出ました。まるで極楽浄土に自分の蓮の花を見たのようです。
そろそろ時間がないことに気付き、さらに精進に念仏をして死後の準備までもしました。
2014年の春、彼女が車事故で重症になって、亡くなりました。みんなが念仏しながら、彼女を見送り、静かに亡くなりました。その後に体が柔らかいです。
初七日の夜に、義理の娘が夢の中に空からはっきりとした声が聞こえて、ずっと繰り返していました。
極楽浄土に行きたい気持ちが大事です!
初心忘るべからず!
彼女が急いで紙にメモしました。その後に声が消えました。
四七日の夜に、3人の子供が同時にお母さんのことを夢に見ました。お母さんが蓮の花の中に、手を振って、無事に極楽浄土に着いたとみんなに伝えました。
二人のお友達も、信琴さんが手に蓮の花を持って、微笑んで自分に渡しました。この娑婆世界の最後に、友人と親族に不思議な体験をさせました。
信琴さんが博学ではなく、特別な人物でもないです。彼女が家族のことを大事にしていますが、家族愛に縛られていないです。
生涯をわたって、人生の辛さを修行の種にしました。彼女は自分の人生を通じて、世の中が無常ではありますが、念仏の功徳が確実であることを教えてくれました。
六道輪廻を絶対乗り越えなければならない‼️
また『無量寿経』の中にも、この世で辛くても精進に念仏し、亡くなる時あっという間に、阿弥陀仏の浄土に生まれて極楽な生活が得られます。
彼女を見習って、修行を怠らず、明るい未来を迎えれるようにしましょう。
