53、鎮護国家と国民を守り、因果の法則を明らかにする
人生の目標は何でしょう?苦しんでいる人は苦しむしかなく、幸せな人はその恵みをもとに業を作り、それでも苦しみを受けなければなりません。ただの繰り返しです。因果の法則を知らなければ、せっかくの人身を無駄に過ごすことになるのではないでしょうか。
印光大師はかつて鎮護国家の災厄を払う法会で、鎮護国家と国民を守るには重要なのは因果を深く信じ、菜食を実施し、命を救い、戒律を守って念仏を唱えると教えました。印光大師はこう言いました。「今の世界のあらゆる災害と私たちが受ける様々な苦しみは、過去の悪業によって招かれたもので、現在の苦しみを受けることになります。苦しむ果報を免れたいのであれば、苦しみの因を取り除かなければならない。悪因とは何でしょうか?貪欲、怒り、無知という三つの毒です。善因とは何でしょうか?他者を助け、切実な利益を与えることです。もし皆が因果の法則を理解していれば、悪を行わず、善行を積むことで、災害は自然と起こらなくなるでしょう。しかし、今の時代において、人々は因果の法則を知らず、私欲に満ち溢れ、悪を行います。自分のことだけを考え、他人のことを考えないです。因果の法則は、聖者が世界を治め、如来がすべての衆生を救うための基盤です。」仏陀様はこう言いました。「前世の因を知りたければ、今生で受ける者がそれです。来世の果を知りたければ、今生で行う者がそれです。」《易経》には、善を積む家には必ず余慶(祖先の行なった善事の報いによって、子孫が得た幸運)があり、悪を積む家には必ず余殃(先祖の行なった悪事のむくいが、災いとなってその子孫に残る)があると書いてあります。《書経》には、善を行えば百祥が降り、悪を行えば災いが降ると書いてあります。その理念は仏様が語った因果の法則と全く同じです。印光大師が鎮護国家への真情は、紙の上に浮かび上がり、一言一言が真理を語り、一文字一文字が慈悲を含んでいます。
《陰律無情》という本は、悪業からの苦しみを世の中の人に明かすものです。人間は悪報が今生に現れないことを見て、因果の法則を信じることはできませんと言っています。そして自らの欲望に溺れ、好き勝手して、人を傷害し、自らを害することをしてしまいます。陰律の法網は広く、漏れはありません。三世の因果は古今を貫通し、報いがないわけではなく、時が来ていないだけです。特別にこの方便の扉を開き、苦しみの果実を知ってもらい、悪因を断つことを期待して善を行うように促します。
苦しみの因の一つとなる邪淫について、印光大師はこう言いました。「これは天の理に逆らい、人倫に反するもので、人の皮を被った獣となり、死んでも三途の悪道に堕ち、終わりのない苦しみを受けます。」国の将来は人材にかかっており、人材の重要性は質にあり、質の核心は道徳と才能です。もし世の中の人々が姦淫を犯すと、道徳が堕落し、才能が損ない、終わりのない災難に見舞われるでしょう。現世では体が虚弱になり、早老になって病気が多く、婦人科疾患にかかりやすく、さらに不妊になることもあります。邪淫を頻繁に犯かすと、家庭が崩壊し、不和が生じ、妻子と離れ離れになり、恨みが募り、仕事が挫折し、名誉が失い、財産が減り、寿命が短くなります。若者が情欲の満ち溢れた内容を見て、自慰行為をしたり、姦淫をしたりすることは、人生の素晴らしい青春を無駄にして、道徳を損ない、体を壊すことになります。国の未来はまさに若者たちが背負うことになり、非常に残念なことではないでしょうか?まさに国と国民を惑わす毒の武器です。無数の人を滅ぼし、目に見えない形で人に傷害を与えます。
質問:確かにそうですが、もっと理論的に人々を説得し導く方法があるのに、こんなに多くの地獄の刑罰や血なまぐさい場面を描写して、人々に恐怖、憂鬱や不快を感じさせる必要があるのでしょうか?そして、多くの人は地獄を信じていないなら、道を自ら阻んでいるのではないでしょうか?
回答:病に適した薬が良い薬です。今の世の中では、因果の法則を信じない人が多くて、三世の因果はさらに感じにくいものです。この地獄の現状を示すことで、悪業には必ず悪報があることを知ってほしいです。過去を改めて修行し、悪道に堕ちることを免れることができます。また、本の中には因果の法則について多くの示唆があります。これは理論と物事の両方が重視され、互いに通じ合うものです。人々に恐れを知ってもらい、止まることを知ってもらい、改めることを促すのです。そうすれば、地獄の門は破れ、菩提の道が開かれます。
質問:《陰律無情》という本は本当ですか?信じる者には存在し、信じない者には存在しないのであれば、私は見ない方がもっと楽じゃないですか?
答え:信じる者には存在し、信じない者にも存在します。誰でもそうです。《陰律無情》で語られていることが真実かどうかは、仏様が示した因果の法則を基準として判断すべきです。それは地獄の悪報の一部を現世の人間に詳しく説明し、人々を善に導くものであり、自分が見るかどうかを基準にするべきではありません。観測できない惑星の存在も、私たちの科学の限界で発見されてないからといって存在していないわけではありません。見えないからといって存在しないとは限りません。厳密に言えば、人間は一時的に見えないことがあっても、必ずしも存在しないとは言えません。
誰でも人の本分を守れば、心身が調和し、家庭が和やかになり、社会が平和になります。国の基盤は国民であり、国民の根本は徳にあります。国に徳がなければ栄えないです。人に徳がなければ幸せにあれません。
