神戸女学院大学教授の内田樹先生と、精神科医の名越康文先生の対談を聴きに出かける。タイトルは「非活性化する若者たちとオタク文化」。特に印象的だったのは、両先生が「若者像」をある意味で「進化した存在」としてとらえておられたことでした。若者たちの使う言葉の種類はとても少なく(時には、カワイイ、のみ)、人の話もほわーっと聞いているように見えるけれど、その表情には実は淡い色あいの微妙なグラデーションがあって、話し手の意図を確実に「受信」しているのがわかると。 自分たちが若かった時代、確かにたくさんの言葉を機関銃のように使っていたものの、コミュニケーションは実は雑で、不必要に極論に走り、誰もが「発信」ばかりしていたと。
自分の時代に根っこをはやして、次に来る世代を「イマドキの若者」として批判するという、一般的な流れに乗っておられないところが、この対談のスカッとしたところでした。どこか自分の場所にとどまって、そこから意見を発信してくる人ではなく、自分もまた走り続けながら景色を中継してくれる走者のような人、そんな人の話を聴くために人は集まるのだと思います。「自分」をフレームの外に置くな、「自分もまた変化していく」というのは難しくて、でも楽しいことなんだ・・・言葉の発信基地のように見えるおふたりの先生から、このメッセージを強く感じたのでした。
自分の時代に根っこをはやして、次に来る世代を「イマドキの若者」として批判するという、一般的な流れに乗っておられないところが、この対談のスカッとしたところでした。どこか自分の場所にとどまって、そこから意見を発信してくる人ではなく、自分もまた走り続けながら景色を中継してくれる走者のような人、そんな人の話を聴くために人は集まるのだと思います。「自分」をフレームの外に置くな、「自分もまた変化していく」というのは難しくて、でも楽しいことなんだ・・・言葉の発信基地のように見えるおふたりの先生から、このメッセージを強く感じたのでした。