ご訪問ありがとうございますニコニコ
西村マイです。


突然ですが私は、7人家族で育ちました。

おじいちゃん、おばあちゃんと同居して
いたので、よく一緒に時代劇を観ていました。

その経験も、歴史好きになった一因かも
しれません。



「水戸黄門」で有名な
水戸藩主徳川光圀は18歳の時に

司馬遷の「史記」を読んで

自分は名君と呼ばれる藩主に
なろう

と決意したそうです。


産まれ落ちた場所や家、時期によって
身分が決まる時代

誰もがなりたいと思ってなれる訳ではない
一国一城の主となる我が身の幸運と重みを
誰よりも理解していたのでしょうね。


事実、水戸黄門様は、今でも語り継がれる
人気者、まぎれもない名君ですよね。


天下の副将軍とは比べるべくもないのですが笑

(余談ですが、子供の頃水戸黄門のドラマをおばあちゃんと観ていた時に、「偉い人やのに旅できるの?」と聞いたら「将軍やのうて副将軍やから出来るんや。」と適当にあしらわれました…。副将軍でも長旅はできひんやろうガーン
隠居してても日本中を旅したんは家臣やで!おばあちゃん!!)


私も史記を読んだ際にも
その前後でも
よい経営者になりたい
と思っています。

祖父の代から約50年続く
父の税理士事務所

徳川幕府の歴史よりは大分短いですが笑

バブル崩壊にも、リーマンショックにも負けずそこに在り続け

良いときも悪いときも、真摯に仕事に
向き合ってきた
その歴史を繋いでいきたいと
強く思います。

そして、同じ経営者になるのであれば
立派な経営者になりたい。


今は、まだ勉強中の身であることや
見た目が実年齢より若く見えるからか笑

「お父様のお手伝いしてはるの~!
えぇ学校出てお勉強もしっかりしたはって
偉いわね~!」

と、まるで学生さんのような誉められ方なのですが笑い泣き笑い泣き笑い泣き


徳川光圀公が、水戸藩の第二代藩主に
なったのが34歳の時だそうですが

私、現在34歳滝汗

光國公より、少し出遅れてしまいますが…。


「大日本史」を編纂したり

薬の研究を奨励し、藩の人々が薬を必要とした時には、高価な薬を惜しげもなく分け与え
時間を見つけては領内を歩いて人々と交流を図った黄門様。


彼の姿は、私にとって、こう在りたいと思う
リーダーの姿そのものです。


光國公が亡くなった時には、
このような歌が流行したほどの人気者
だったそうですよ。


「天が下 2つの宝つきはてぬ
   佐渡の金山  水戸の黄門」



最後までお読みいただき
ありがとうございますニコニコ