No.343 阪神大震災を振り返る 2 | NPO法人NMA

No.343 阪神大震災を振り返る 2

森村@NMAです。 前回1月19日(木) の続きです。


娘が呑気に布団に入って寝ようとしている中、母は片付けなきゃとブツブツ言いながら
散乱した物をかき集めていました。
私は布団の中から「危ないからやめときー明るくなってから片付けたらええやんー」
みたいな事を言ったのを覚えています。


夜が明けてきて、辺りがハッキリ見えるようになった頃、片付け開始。
家の外にも出てみると、家の屋根瓦や外壁が落ちてたりしそれに驚きました。
ご近所の方々も外に出始めていて、お互いの無事を確認しあいました。

近所のおばちゃんがそのうち水が出なくなるかもしれないから
今水をくんでいるのと言ってたので我が家もバケツに水をくみ始めました。

ガスはつくのか? 試してみるとちゃんと火がつきました。良かったー。
(この行動も今思うととんでもない事です。)


しかし電気は相変わらずつかず、テレビが見られないので情報がさっぱり分かりません。
そんな中、呆然とした気持ちで片づけを行っていました。

余震は続いていたのですが
最初に遭った揺れが余りにも大きすぎたので、何とも感じない気分になっていました。

昔ながらの地域の良い所でしょうか、近所のおばちゃんは情報伝達係りのごとく
ご近所に色々情報を伝えておられました。
「神社が倒壊してる」 「駅が潰れているらしい」 「食べ物を買いにいっとかないと無くなるよ」とか。


駅が潰れていると聞いて、自転車に乗って阪急伊丹駅まで見に行ってしまいました。
駅舎の下に三和銀行(当時)が入っていたのですが、銀行のショーウインドウのガラスが

見事に割れていて道路に飛び散り、へしゃげている駅舎を見て衝撃を受け涙が・・・。

その後営業していたコンビニに寄るも、店内は食料、飲料水がスッカラカンの状態でした。

そしておばちゃんの言ったとおり、水が出なくなりました。


給水車から水を貰いに長蛇の列に並び・・そうなって初めて現実的に切羽詰まった
気持ちになったのです。それまでは漠然と何とかなるわよと思っていた気がします。



ただひたすら片付けを行っていたのですが、昼過ぎでしょうか、ようやく電気が通じました。
・・・・・テレビに映る神戸の風景が信じられませんでした。神戸の被害に比べれば
私の住む街の被害は微々たる事だったかもしれない、と当時思ったんです。


次回は地震で得た教訓と神戸に住む友人の見舞いに行った事などを書きます。

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