オバマ氏 | タイトル未定・・・

タイトル未定・・・

ささやかな日常の雑記帳

初の黒人大統領の誕生に沸くアメリカ。

10万人を超えるともいわれる人々が寒空のもと集まり、歓喜を分かち合いました。

しかし、防弾ガラスによって厳重に守られた中での勝利宣言は

いみじくもいまだに根深く残る人種差別の存在を露呈しているとも言え・・・


人間の価値体系というものは、その人の生まれ育った社会(地域的なものであったり、人種的なものであったり、宗教的なものであったり、またそれらの複合的なのものであったり)の中では通念として空気のように日常的に触れているものであり、ひとたび出来上がってしまえば、それを打破するのは非常に難しい。


その人が属する社会で共通している認識であるのなら、外から見た場合は「偏見」であっても、その社会の中においては共通する価値体系であり、常識でもあるわけですからね。


こうした偏ったものの見方をなくすためには、

まず気づくこと、そして新たなる価値体系の再構築といった過程を要し、

言葉で言うとなにげないですけど、これは並大抵のことではないのでしょう。

頭でわかったとしても、気持ちが受け容れられないっていう感じ。

私の親の世代(昭和一桁)以前の人の中には、時々黒人の人やアジアのほかの国の人に対する差別的発言をすることがあって、そんなのを耳にすると、こういうことの難しさを改めて感じたりします。


でも、こんなことを言ってる自分の中にもどんな歪みがあるかわからないしね。



そういえば、日本人って、宗教に対してはgenerous(寛大)であるといわれるけど、

(神道、仏教、キリスト教、お祭りや行事なんかもキャッチーなものはとりあえず取り入れちゃうしね)

信心のある人に対しては、ちょっと敬遠する傾向ってあるよね。

タレントさんなんかでも、宗教色がついた途端、ファンが離れちゃったりね。

自分が何でも受け容れられる=一つの宗教を信じるという感覚が理解できない、みたいな。

私自身、海外とかで宗教を理由に痛ましい事件なんか起こったりすると、

いったい人間にとって、信仰ってなんだろうなんて思わないこともない。

心の平安を求めての信仰のはずが、紛争やらのもとになってしまうっていうのは、

やっぱ本末転倒な気がしてしまう。

こんな考え方も、無信心故でしょうかね。


そういえば、ちょっと前(といっても1,2年前)に合衆国のある州で宗教上の問題で学校の授業で地動説を教えること

(=天動説の否定)に反対する裁判などという話題をABCのニュースで見ました。

にわかには信じ難かったものです。


なんだか何を言いたいのかわからなくなってしまいました…


とりあえず、オバマ氏がどうあの国を変えていくのか、注目です

(って、そんなことは書いてないか…)