著:島田荘司
5年ほど前に読んだ本です。
なので、レビューにはなりません。
一応今図書館で借りてきたのが手元にありますが、書く前に読み返すにはボリュームが…
なぜ今かと言えば、三浦和義元社長のロス移送のニュースを受けて。
今ウェブで調べていても、「元社長」「容疑者」と呼称が分かれてますね。
国内で無罪になった人でも、この場合、「容疑者」と呼んでいいんですかね、
あちらで殺人の共謀罪での訴追を認められたから、ということですか。
やはり「一事不再理」という観点をどう考えるかで、このあたりからすでに扱いにも違いが出てくるのでしょうか。
でも今現在進んでいることについては、ちょっとよくわかっていないので、
ここでは20年前の三浦報道について。
その前に、筆者の島田荘司氏。
本格ミステリー作家。名探偵御手洗潔の生みの親。吉敷竹丈シリーズもありますね。
私が2番目にはまったミステリー作家さんです。ざっくりした紹介ですが。
で、この665ページにわたる「三浦和義事件」、プロローグに始まり、
大きく分けて以下の4つの章から成り立っています。
マスコミ・サイドの視点
三浦和義の視点
裁判
後記、幻想のロス疑惑
(平成9年に本書が発行された時点では、まだ裁判は続いていました)
私もそれほど注目していたわけではないので、
この三浦和義という人物と「ロス疑惑」という言葉を知ったのは、
ずいぶん世間で騒がれてからだったと思います。
昭和59年1月に「疑惑の銃弾」と題された連載が週刊文春で始まってから、
この昭和最後の大騒動ともいうべき、ひどい報道合戦は始まりました。
各メディアにより、連日暴かれる一人の人間のプライバシー。
彼が犯人であるという前提の下の「事件」報道。
本書の第1章では、そんなマスコミサイドからの視点で一連の事件を追っています。
後記で島田氏が明らかにしているように、糾弾した側、被害者側の方たちの著作などをもとに事件が詳らかにされています。
そして、次の第2章は三浦和義氏からみた「起こったこと」。
まったく同じ出来事が、三浦氏側の告白的情報と裁判で開示された内容とによって、
明らかにされています。
島田氏のスタンスは明らかで、三浦氏を「シロ」とも「クロ」とも断罪せず、ただ客観的事実を網羅することによって、一連の出来事の見え方がどれだけ違ってくるかを読み手に教えてくれます。
(ここで客観的事実と言ってしまいましたが、厳密にいえば客観などというものはこの世に存在し得ませんね。どうしても語り手・受け手の主観は入ってきますから。でも、そこに言及すると、話がより複雑になってしまうのでそこは置いておいて。)
また、被告側である三浦氏の言説についても、真実でない可能性を示唆しています。
こうしてあらゆる材料を私たちに提示した上で当時進行中の裁判の推移を第3章で追っています。
読者のミスリードなんてお手の物のストーリーテーラーさんですから、
そしてそんなのにたびたび引っかかってるカモネギな読み手ですから、
読後感は一言まっ白。
一番初めに思ったのは、こんなことに決着をつけるような立場でなくて良かったな、と。
(裁判員制度は平成21年にスタートするそうですが・・・→http://www.saibanin.courts.go.jp/ )
そして、やはりメディアの力ですね。
あの頃の報道は、やはり度を越してるなどというような生易しいものではありませんでした。
「客観的事実」の取捨選択の仕方で、「真実」はいかようにも作りあげられます。
そうやって報道によって自分がミスリードされている可能性を考えると、とても恐ろしい。
たとえ裁判で罪に問われることがなかったとしても、
このような状況はメディアによる社会的「冤罪」ですよね。
彼が罪を犯したかどうかと、自分か彼という人物を好きかどうかは、全くの別な問題なはずですから。
私も、彼がやったとか、やってないとか言うつもりはないのです、言おうにもわからないですし・・・
ただ、いまだに続くメディアによる「騒動」各種には決して乗るまいと、それだけは改めて思いました。
何だかしりすぼみに終わってしまいましたが、ちょっと今日はこんなことを考えてました。
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追記 : 10月11日三浦和義氏、自ら命を絶たれたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。