【たいげんたいく】
言葉にばかりこだわっていて、生きた真実が理解できないこと。

◇  ◇  ◇

「テレビ“なんて”観ません。」などとテレビを卑下する人間が大嫌いだ。

何を隠そうこの私は無類のテレビ好きである。家では睡眠以外の全ての時間をテレビと共に過ごしている。おかげで、テレビには様々なことを教わりここまで育ててもらった。

『ドラえもん』には夢や友情を。『野生の王国』には自然を愛する心を。『世界まるごとHOWマッチ』には万国の文化を。『ザ・ベストテン』には性の目覚めを……数えあげればキリが無い。

テレビにはまた、多様な好奇心が詰まっている。外国語会話から、生活の知恵、グルメ、政治、経済、流行、事件、笑い、涙、怒り、果てはヅラの見抜き方まで、森羅万象そのものと言っても過言ではないだろう。

もちろん危険性があることは承知している。

先日の民主党大勝利やその前のコイズミ旋風も、報道のあり方一つで真逆の結果になった可能性も否定できないし、あまり好かれていない某団体制作の映画や新聞のCMも遠慮なく流されている……つまり、お金さえあれば、世論や流行の操作まで不可能ではないだろう。

テレビ否定論者の多くは、そんなことをあげつらい、テレビを洗脳装置などと決め付けて声高に批判している。

しかし、そんな危険性はテレビに限ったことではない。紙媒体やネットの世界にも同じようなことは起こりうる。Greeeen解散騒動はスポーツ新聞が発信源だったし、大阪地下鉄衝突事故の誤報はネットの世界を駆け巡っていた。どの媒体に対しても、結局は自分自身で適切に取捨選択できるような能力を身につけるしかないのだ。

これまでに出会った「テレビ“なんて”観ません。」人間は、自分は偽りの情報には惑わされない、道理をわきまえたインテリジェンスであるなどと寝ボケた勘違いをしていることが多い。

そんな輩は、空き時間にはビジネス書や小説を読み、新聞はもちろん2紙購読。異業種交流会にだって積極的に参加していますなどとイチイチイチイチ報告してくれるのだが、その割にはビックリするような物事を知らず、文章も誤字だらけで稚拙、また、社会情勢への意見もどこかの社説の受け売りでしかない。そんな無意味な行動をするくらいなら、テレビにカジリついてくれた方が、余程会話も弾むだろうに。

そもそも昔は『ドリフターズ』や『クイズダービー』にワクワクしていた筈だ。本当はテレビが大好きに決まっている。カッコつけてるだけだ。

彼らに思い出して欲しいことが一つある。
夜中に命懸けで観た『11PM』の興奮を。

知らないならそれは、ただのインポ野郎だ。きっと。


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