【ぼんのうぼだい】
悟りの障害となる人間の煩悩も、そのまま悟りのきっかけとなること。また、迷いがあるからこそ悟りもあるということ。
◇ ◇ ◇
『理趣経』という密教の経典の中に「十七清浄句 」という、大変興味深い教えがある。
つまり、性行為で気持ちよくなることや、強い欲望を持つこと、他者に優越感を抱くこと、また物欲や食欲を満たすことも、全て“清浄なる菩薩の境地”つまり悟りである。と説いている。
なるほど、あの心配も無用だったワケだ。
これからはセックスをしまくってやろう。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
欲しいものは躊躇無く手に入れてやろう。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
他人なんて気にせずに蹴落としてやろう。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
ごはんはもちろん腹いっぱい食べてやる。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
ねたみやそねみを持ったって気にしない。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
ああ素晴らしい“清浄なる菩薩の境地”。欲望大好き!強欲万々歳!
……というワケではない。
詳細はまたそのうち。とりあえず気をつけて。
悟りの障害となる人間の煩悩も、そのまま悟りのきっかけとなること。また、迷いがあるからこそ悟りもあるということ。
◇ ◇ ◇
『理趣経』という密教の経典の中に「十七清浄句 」という、大変興味深い教えがある。
─ 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
─ 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
─ 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
─ ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
─ 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
(一部抜粋)
つまり、性行為で気持ちよくなることや、強い欲望を持つこと、他者に優越感を抱くこと、また物欲や食欲を満たすことも、全て“清浄なる菩薩の境地”つまり悟りである。と説いている。
なるほど、あの心配も無用だったワケだ。
これからはセックスをしまくってやろう。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
欲しいものは躊躇無く手に入れてやろう。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
他人なんて気にせずに蹴落としてやろう。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
ごはんはもちろん腹いっぱい食べてやる。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
ねたみやそねみを持ったって気にしない。
それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。
ああ素晴らしい“清浄なる菩薩の境地”。欲望大好き!強欲万々歳!
……というワケではない。
詳細はまたそのうち。とりあえず気をつけて。