【ぼんのうぼだい】
悟りの障害となる人間の煩悩も、そのまま悟りのきっかけとなること。また、迷いがあるからこそ悟りもあるということ。

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理趣経』という密教の経典の中に「十七清浄句 」という、大変興味深い教えがある。

─ 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である

─ 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である

─ 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である

─ ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である

─ 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

(一部抜粋)


つまり、性行為で気持ちよくなることや、強い欲望を持つこと、他者に優越感を抱くこと、また物欲や食欲を満たすことも、全て“清浄なる菩薩の境地”つまり悟りである。と説いている。

なるほど、あの心配も無用だったワケだ。

これからはセックスをしまくってやろう。
  それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。

欲しいものは躊躇無く手に入れてやろう。
  それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。

他人なんて気にせずに蹴落としてやろう。
  それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。

ごはんはもちろん腹いっぱい食べてやる。
  それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。

ねたみやそねみを持ったって気にしない。
  それが“清浄なる菩薩の境地”なのだから。

ああ素晴らしい“清浄なる菩薩の境地”。欲望大好き!強欲万々歳!

……というワケではない。

詳細はまたそのうち。とりあえず気をつけて。