生まれたその瞬間から、死に向かう
前に何かでこの文章を読んだことがある。
ちょっとショッキングでもある、でも現実的なその言葉。
ここのトコここにも書いている、義従姉の付き添いのコト。
先週金曜日からの彼女の実家行きから、しばらく疲れもあって
書く気も起きず、でした。
彼女の念願の帰省。
それは、けっこう大変なものでした。
病院の看護師さんからは「行くなら今」と言われていた。
出かける時に、向こうで何かあった時のための「紹介状」も渡されていた。
長野県塩尻市まで、約200km。
介護タクシーをお願いしての、帰省になった。
午後2時に病院を出発し、着いたのが夜7時。
実に5時間。
元気な私たちにもけっこうハードだった。
次の日、本当の目的であった彼女のお父さんの生家がある車で40分くらいのところへ。
山道というか、くねくね道もあり同行してくれていたヘルパーさんもグロッキーになるくらい
くねくねが続く長い道のり。
やっと到着したけれど、雨は降ってくるし。。
やっとの思いで家の中に入り、彼女も家族に囲まれていた。
だけど急に息苦しいと訴え、一時騒然とした。
東京の病院に連絡を取り、頓服で渡されていた薬で対処し
しばらく様子を見ながらどうするか話し合っていた。
長い移動で、足がぱんぱんに浮腫んでしまっている。
たぶん苦しい原因はこれ。
お腹もぱつぱつに浮腫み足も浮腫み、苦しいのだろう。
落ち着いたかと思われたけど、やはりすぐにまた息苦しくなり
近くの総合病院へ。
20分ほどで着き、すぐに診察してもらうも紹介状に治療経過などがあっても
実際の本人の経過を見ていないから何も出来ない…と。
頓服の薬を飲んで様子を見てもらうしかない…と。
そして、出来れば今すぐにでも病院に戻った方がいい…と。
時間18時半。
どぉ考えても消灯時間は過ぎる。
そんなこともあり、再度東京の病院に連絡を取り状況を説明し
帰ることを了承してもらった。
その足で、大急ぎで塩尻の彼女の実家に戻り慌てて荷物をまとめ
一路、東京へ。
時間20時45分。
彼女の薬の時間もあり、中央道諏訪湖SAで休憩。
私たちも夕飯を食べてなく、そこで遅目の夕飯を食べることに。
病院に戻るというコトで安心したのか、車中彼女は落ち着いていた。
談合坂SAで23時半。
行けども行けども着かないもどかしさに、本当に息苦しい思いだった。
でも、間違いなく0時をまわって到着するのに、病院まで従姉が迎えに来てくれるとメールをくれた。
午前1時半。
病院が見えた。
義従姉に小さい声で、「着いたよ☆」って言ったら
ニコっとしてくれた。
それを見て、私もホッとした。
彼女の本当の心が見えた気がした。
だって、この旅で初めて彼女の心からの笑顔だったんだもん。
実家に帰りたい想いも本当だけど、
辛かったのも本当。
道中は辛かったけど、病院に帰れて安心したんだよね。
静まりかえった病院に入り、病室に急ぐ。
深夜にも関わらず、看護師さんは義従姉の不安をそぉっとそぉっと取り除くかのように
優しく声を掛け、血圧を測ったり酸素をつけたりしてくれていた。
彼女は横になるなり、ホッとしたのか眠ってしまい
私たちもしばらく彼女のそんな寝顔を見て、病院を出てきた。
午前2時半。
従兄を送り、今日は私は従姉の家へ。
さすがに、ほっっっんとに疲れていたけれど、興奮状態なのか
寝られず結局従姉とずっと話をしていてホントに寝たのは5時過ぎだったかな。
起きて午後から、また病院へ。
さすがにその日は12時には気絶してました。。
昨日、緩和ケアの看護師さんとお話する時間があった。
なかなか見えない、彼女の現状。
もちろん見た目では、黄疸や浮腫みなど分かるけど、彼女の体の中では
今何が起こっているのか…
その辺の事を、主治医からお話して頂きたいとお願いしてきた。
そして今日。
私は同席しなかったけれど、従兄姉が主治医と面談してきた。
いろいろなお話があったんだけど、肝不全が始まり出していて、2週間位であろう…と。
循環不全
低栄養
リンパによる浮腫み。
でも、栄養剤を点滴したらもちろん彼女も回復するけれど
癌もパワーをつけちゃう…と。
利尿剤も、彼女の浮腫みには効かず脱水症状に陥りやすい…と。
とにかく、彼女が楽だと思うことをしていくしかないんだそう。
気力の強い人だ。
実際に今の数値の中での、彼女の動きは奇跡に近いそうだと
看護師さんたちが言っていた。
その日まで、その気力で頑張ってほしいものです。