個人的に、いや一般的にも高評価を得たクリストファー・ノーラン監督の「インセプション」は2011年のアカデミー賞作品賞ノミネート候補として挙がっています。
自分にとってこの「インセプション」は2010年・・というか今まででもかなり好きな映画に入ります。
抽象的な「夢」という事象を具体化し、そこに独自のアイデアが盛り込まれているのがとても面白いと思いました。
もちろん映像的な面白さもありましたが、この映画は練られた脚本が醍醐味かなと思います。
ストーリーの流れは主人公が他人の夢に侵入しアイデアを植えつける依頼を受け、それに挑戦すると言う安易なものなのですが、ラストシーンによってこの映画がファンの間で語られる要因となっています。
自分はラストシーンについては現実派なのですが、ある解説サイトでは夢説をもっともらしく語っており、それを論破するために今回解明していくことにしました。
その解説サイトでは、冒頭の老人サイトーシーンから回想に入る手法が後のシーンで複数回使われる夢に入る手法と同じであることから、回想は夢であると説明しています。
しかしながら、この作品のノーラン監督は「乗り物に乗るように観れば理解できる」とコメントしていることから手法によって映画を解釈するこの説明は単なる深読みで、自説の夢説へのこじ付けであるということが言えるのではないかと思います。
とりあえず、今回出てきた疑問点をまとめます。
1,サイトーへのエクストラクションでは上の階層でキックをされ起きるというのがルールであったが、フィッシャーへのインセプションでは現階層でキックを行い上階層で目を覚ましている。
2,ラストシーンの空港へのマイルズ教授の存在理由。もともとインセプションは極秘であったのではないか?
3,ユスフを仲間にするシーンで地下にいた人々の描写。その後のコブがトーテム回そうとするも失敗し、床に落ちたトーテムをサイトーに見られるシーンの意味。
4,老人サイトーから中年サイトーへ移るシーンが回想ではなく、夢であるとするならばどうやって夢へ入ったのか?ドリームマシーンなどで眠る描写はなかった。
5,夢説主張サイトでは冒頭と終盤の老人サイトーのシーンが連続していないことから、間のシーンが回想ではなく夢であると主張しているが、これは虚無を繰り返していると言うことではないのか?(現実で10時間ギリギリまで寝ている)つまり、虚無を虚無であると自覚し自殺しなければ現実には戻れないのでは?虚無を現実と思いこんだまま自殺する=再び虚無へ落ちるのでは?もしくは現実での使命を思い出させることがキーになっているのでは?これはモルの「子供のために」と言う事とサイトーの「コブとの約束は死んでも守る」というところで対照的な描写になっている。
6,冒頭と終盤の虚無が連続していないなら何故コブの潜在意識が投影されていないのか?その前にモルのトラウマを克服したから?
まだまだ疑問は出てくると思いますがコレを説明していくことが出来れば例のサイトの夢説を論破させられると思います。
なぜなら沢山の矛盾=夢であるという考えを放棄するかのような暴論でありますので。
次回も続く。
自分にとってこの「インセプション」は2010年・・というか今まででもかなり好きな映画に入ります。
抽象的な「夢」という事象を具体化し、そこに独自のアイデアが盛り込まれているのがとても面白いと思いました。
もちろん映像的な面白さもありましたが、この映画は練られた脚本が醍醐味かなと思います。
ストーリーの流れは主人公が他人の夢に侵入しアイデアを植えつける依頼を受け、それに挑戦すると言う安易なものなのですが、ラストシーンによってこの映画がファンの間で語られる要因となっています。
自分はラストシーンについては現実派なのですが、ある解説サイトでは夢説をもっともらしく語っており、それを論破するために今回解明していくことにしました。
その解説サイトでは、冒頭の老人サイトーシーンから回想に入る手法が後のシーンで複数回使われる夢に入る手法と同じであることから、回想は夢であると説明しています。
しかしながら、この作品のノーラン監督は「乗り物に乗るように観れば理解できる」とコメントしていることから手法によって映画を解釈するこの説明は単なる深読みで、自説の夢説へのこじ付けであるということが言えるのではないかと思います。
とりあえず、今回出てきた疑問点をまとめます。
1,サイトーへのエクストラクションでは上の階層でキックをされ起きるというのがルールであったが、フィッシャーへのインセプションでは現階層でキックを行い上階層で目を覚ましている。
2,ラストシーンの空港へのマイルズ教授の存在理由。もともとインセプションは極秘であったのではないか?
3,ユスフを仲間にするシーンで地下にいた人々の描写。その後のコブがトーテム回そうとするも失敗し、床に落ちたトーテムをサイトーに見られるシーンの意味。
4,老人サイトーから中年サイトーへ移るシーンが回想ではなく、夢であるとするならばどうやって夢へ入ったのか?ドリームマシーンなどで眠る描写はなかった。
5,夢説主張サイトでは冒頭と終盤の老人サイトーのシーンが連続していないことから、間のシーンが回想ではなく夢であると主張しているが、これは虚無を繰り返していると言うことではないのか?(現実で10時間ギリギリまで寝ている)つまり、虚無を虚無であると自覚し自殺しなければ現実には戻れないのでは?虚無を現実と思いこんだまま自殺する=再び虚無へ落ちるのでは?もしくは現実での使命を思い出させることがキーになっているのでは?これはモルの「子供のために」と言う事とサイトーの「コブとの約束は死んでも守る」というところで対照的な描写になっている。
6,冒頭と終盤の虚無が連続していないなら何故コブの潜在意識が投影されていないのか?その前にモルのトラウマを克服したから?
まだまだ疑問は出てくると思いますがコレを説明していくことが出来れば例のサイトの夢説を論破させられると思います。
なぜなら沢山の矛盾=夢であるという考えを放棄するかのような暴論でありますので。
次回も続く。